【スター列伝】イバンチェビッチ

2009年08月17日

 突然思い出したように更新してみると何かあったのではないかと勘ぐられるのがこの別館。久しぶりの更新のスーパースター列伝は、選手ではなく監督にスポットを当ててみようかと思います。取り上げるのはラドミロ・イバンチェビッチ監督です。

 前年のJ1残留に大きく貢献した主力選手を何人も失ったチームを、S級ライセンスを取ったばかりで監督経験はおろかJリーグでのコーチ歴すらない新人監督の柱谷哲二監督に任せるという、これで勝てるほうが不思議というような陣容で戦った2002年、そんなギリギリのチームが大方の予想を覆して快進撃を重ねる、なんてマンガみたいな話が実際あるはずもなく、頼みの助っ人も大ハズレと来た日には全然勝てるはずもなく開幕から負けを重ね、「やっぱり監督は経験豊富な人じゃないとダメだよね」などと今更のように思ったのかどうかはわかりませんが、協会に無理を言ってまで就任させた柱谷監督を6月に解任した後、J1残留の命運を託すべくユーゴスラビア(当時)からやってきたのが、このイバンチェビッチ監督でした。
 過去いくつものチームを降格から救った「サルベージの名人」という触れ込みで、スペインのレアル・オビエドからやってきたイバンチェビッチ監督は、初めて見た時はセルビア人とは思えない下町のオッサン的な風貌に度肝を抜かれたものですが、その練習メニューの豊富さから、「千のメニューを持つ男」と言われており、「千の顔を持つ男」といえばミル・マスカラスであり、「千の風になって」といえば「おっと、ここは用心しなければならない」であり、「千と千尋の神隠し」といえばそのパヤオワールド全開っぷりに最後まで何が言いたいのかさっぱり理解できなかったのであり、「崖の上のポニョ」はPV見てあまりの声優陣のへたくそさに見る気を失ったわけですが、そしてそれらはイバンチェとは全然関係はなく、新たな監督のもとでわずかな望みに賭けての崖っぷちからの立て直しが始まりました。
 幸か不幸か、この年はワールドカップによるJリーグ中断期間があり、札幌のようにワールドカップの喧噪をよそに選手の誰1人も代表に送り込んでいない蚊帳の外チームにとっては、再び鍛え直すチャンスとなります。ただそれでも就任から1ヶ月足らずという時間は決して充分とは言えなかったはず。事実、御殿場で行われた臨時キャンプでのトレーニングマッチでは、当時J2だった川崎フロンターレにいいところなく破れる体たらくでした。これはどうにもならんかもなぁと思いつつ迎えたJリーグ再開後の最初の試合は、7月13日のヴィッセル神戸戦でした。この試合、トレーニングマッチとはうって変わってやたら強気なラインとアホみたいなプレッシングサッカーを繰り広げます。まるで生まれ変わったようなパフォーマンスを見せたこの試合で勝っておけば、もしかしたら歴史は変わっていたかもしれません。しかし札幌は攻めながらも1点を奪うことができず、逆にコーナーキックから土屋征夫に決められて敗戦。その後も運動量の求められるサッカーの代償なのか、いい試合は見せるのですが最後まで守りきれず、思うように勝ち点を上乗せできない試合が続きました。
 いくら「サルベージの名人」といえども限られた時間の中でできることはそう多くはありません。そんな中でJ1残留という使命を果たすためには、とにかくメンバーを固定してレギュラー組を鍛えることが最優先で、それでも結果が出ていればよかったのでしょうが、いよいよJ2降格が現実味を帯びてくると、チーム内外から「どうせ落ちるなら来季以降を見据えて若手を育成すべき」という声も囁かれるようになりました。当時サテライトリーグには参加していなかった札幌は、張外龍コーチに任せっきりだったサブ組に対してイバンチェビッチ監督とともに他クラブのサテライトチームとのテストマッチツアーを行うようになりましたが、それでも若手を使おうとはしないイバンチェビッチ監督への風当たりは次第に強くなってくるようになりました。まぁ素人ながらほとんどの試合を見た自分の目からも、「こいつは今すぐレギュラーで使うべき」と思えた選手は新居以外には(私情込みで)いなかったんですけどね。かといってレギュラー組の選手も大差ないと言えば大差なかったんですが。
 そして2002年9月15日、残留を争うライバルだったヴィッセル神戸とのホームゲームに1-2で敗戦した翌日、かの有名な「No Idea.」、早い話が「もうダメぽ」というセリフを残してイバンチェビッチ監督は辞任(クラブは解任と発表)。名人を以てしてもサルベージ不可能なほど深海に沈んでしまった札幌は、当時の史上最速記録で降格しました。

 さて、コンサドーレ札幌を退団してからのイバンチェの足取りですが、2004年までキプロス共和国のAEPパフォスFCの監督を務めた後、セルビア・モンテネグロのFKオビリッチの監督に就任。2006~2007年シーズンはマケドニアのFKマケドニアの、2007~2008年シーズンにセルビアのFKスメデレヴォの監督を務め、2008年にはクウェートのアルクウェートで指揮を執っていたようです。2009年現在どこで何をしているのかは不明ですが、FKマケドニアの公式サイトの英語ページはなぜかイバンチェ時代で時が止まっているらしく、コーチングスタッフ紹介ページやフォトギャラリーなどで、その懐かしい姿を目にすることができます。

http://www.fcmakedonija.com.mk/en/