2012年05月30日
もうやめると思った? 残念、まだ続くのでしたー。 というわけで、忘れた頃に更新するサイト、サッカー百鬼夜行別館でございます。まぁ本館のほうも週一更新ペースになっちゃってますけど。そして既にこのために存在していると言っても過言ではない「スーパースター列伝」、今回取り上げるのは、今でも一部で根強い人気を誇るノナトです。 2007年に三浦俊也監督の下でJ2優勝を達成しJ1への昇格を果たした札幌でしたが、優勝したとは言っても並み居る敵を叩きつぶしてのものでは決してなく、むしろJ2でもそう恵まれていたわけではない戦力ながら、しぶとく守り少ないチャンスをものにしていく戦い方を徹底してきたのが功を奏した格好でした。J1に上がったからと言って大幅に収入が増えるわけでもなく、補強に使える資金もたかが知れている事情の中で、どこまでJ1で戦えるようにするか。リーグ最少失点を支えたCBブルーノ・クアドロスが退団してしまいましたが、札幌の採った策は単純にその穴を埋めるのではなく、攻撃力を上げることでした。 思いのほか活躍したFWダヴィもJ1では未知数でしたし、J2最少失点の守備とは言っても、強力なアタッカーの揃うJ1では1-0で勝つサッカーは難しい。かといってボールを支配する攻撃的なサッカーなんてどだい無茶な話。であれば、ヘタにブルーノの穴を埋めるよりも、2001年の俺王様のような少ないチャンス、少ない人数で確実に点を取れるストライカーを補強しよう、となるのは当然の成り行きです。そこで白羽の矢が立てられたのが、ノナトという選手でした。 本名をライムンド・ノナト・ジ・リメイラ・リベイロ。1979年7月5日生まれ、Wikipediaにはブラジルのパラー州ヴィセウの生まれとあります。1998年にバイーアでプロのキャリアをスタートし、以後韓国の大邱、ソウル、ブラジルのゴイアス、フォルタレーザでプレイ。バイーアでは通算133得点というクラブ記録を保持、韓国でも得点ランキング2位となる13ゴールを挙げ、アジアのサッカーでの実績をひっさげ、札幌にやってきました。 さて、この時は2008年。21世紀に入って各家庭にもブロードバンドが普及したことで、それまではテキストと画像が中心だったインターネットでも動画が使われることが多くなってきました。さらに2000年代も後半になるとYouTubeをはじめとした動画投稿サイトが出現。誰でも手軽に動画が公開できるようになったことで、世界中の様々な動画情報で手に入るようになりました。日本では放送されることなどないチームの試合映像なんかも見られるようになっていたのです。助っ人選手はいろいろな意味で未知数ですから、果たしてどんな選手なのか気になるのは当然のことですが、そんなサポーターたちにとって、インターネットは強力な武器となっていました。まぁそれでも(それこそ来日前のダヴィのような)マイナーな選手は探すのにも苦労するのですが、さすがにクラブ記録を持つ選手だけあって、少し探しただけでわんさかと関連動画が出てきました。 さて、札幌は確かによわっちいチームですが、それでも過去には何人もの優れたストライカーが在籍していました。ホルヘ・デリーバルデス、エメルソン、ウィル、フッキ…いずれも強力なストロングポイントを持ち、札幌でリーグ得点王か、もしくはそれに準ずる結果を残した選手たちを直に見ているので、ストライカーを見る目は割と肥えています。そんな札幌サポーターの目から見たノナトは、文字通りに肥えていました。タレントの松村邦洋さんのような体型です。サッカー選手とは思えません。 そしてプレイスタイルも、デリーのように高さがあるわけでもない、エメのように爆発的なスピードがあるわけでもない、俺王様のように正確無比なキックがあるわけでもない、フッキのように超人的なパワーがあるわけでもない。強いて挙げるならなぜかフリーになっているポジショニングか、というところですが…それを生かすには、味方のお膳立てが必要となります。うん、それって要するに、札幌に合わないんじゃないのカナ? というわけで、来日前からなんだか不安な感じがぷんぷん漂ってはいたものの、その一方でその関連動画からわかったのが、「応援チャントがやたらとかっこいい」ことでした。単純に盛り上がりそうというのもありましたが、何より日本でも自分の昔のチャントを聞けば、気持ちよくプレイしてもらえるに違いないと、サポーターは日本語にすれば「ノナト、恐怖の闘牛士」というポルトガル語の歌詞(?)を動画のコメントから拾い出し、しっかりものにしました。 結論から言いますと、それが報われることはありませんでした。 来日した直後に「オフの間はあんまり身体を動かしてなかった」と悪びれもせずにコメントし、85kgという明らかなウェイトオーバーでチームに合流、キャンプがスタートしてからもいっこうに体重が減らないこと、テストマッチでも点を取れていないことなど不安だらけで、熊本で行われた韓国Kリーグの水原サムスン戦を見に行った自分も<strong>これは本当にダメかもしれない</strong>と思ったものですが、それでも俺王様をはじめとした前例から、ブラジル人は練習の評価はあまりあてにならないことから、楽観視はしてたんですよ。ボールを蹴るのはうまかったですしね。きっと本番までにはコンディションを挙げてくるに違いない…と思っていたら、開幕直前に怪我。3月23日に行われたナビスコカップの川崎フロンターレ戦で復帰したものの、特にこれといった仕事もできないまま前半で交代。三浦監督からも散々な評価を賜ったノナトが次にサポーターの前に姿を現したのは、それから2週間後の4月5日。リーグ戦でのFC東京都のアウェイ戦でした。この試合にベンチ入りしたノナトは、1点を追う後半41分に中山元気との交代で登場。直後に右サイドのオープンスペースに出たパスに走り込んだノナトは、折り返しのクロスを上げようとしましたが…右足で蹴ったボールはものすごいアウト回転でゴール裏に置いてあるスポンサーの看板を直撃。 ………。 実際やってみるとよくわかるのですけど、前に転がっていくボールを90度もしくはマイナス方向に蹴ろうとするならば、ボールよりも先に踏み込んで、腰を回してかぶせるようにして打たないといけないのですよね。ああいう風にアウトにかかってしまうのは、ボールに追いつけていないか、または腰が回っていないかどちらかなんですけど、いずれにせよプロの試合ではほとんどお目にかかれないプレイです。思わず目が点になったのはオレだけではなかったようで、直後に映った三浦監督の怒りとも悲しみともつかない表情は、一生忘れることができないでしょう。 そして、その伝説のクロスを最後にノナトがトップチームの試合でプレイする姿を見ることはありませんでした。当時はまだ参加していたサテライトリーグでキレキレだったとか、華麗なるバイシクルを疲労としたとか、いくつかの都市伝説ともつかないレポートはありましたが、結局6月14日にノナトとの契約解除が発表されました。 コンサドーレを退団してからは、徳島ヴォルティスの入団テストを受けたりしたらしいですが、契約には至らずブラジルに帰国。Wikipediaなどによれば2012年現在でも現役を続けているようですが、札幌退団後5シーズンでのべ11チームを渡り歩いているようです。
プロフィール
なまえ:choo コンサドーレ札幌応援?サイト「サッカー百鬼夜行(http://www.kingofsapporo.com/)」管理人。「月刊コンサドーレ」でもコラム書いてたこともあります。札幌出身、現在東京都練馬区在住。北海道を愛する20歳。一児の父。
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