2007年08月25日
昨日職場で。 隣の課の、人から、4万人プロジェクトの話を振られた。 ぜひぜひ行きましょう。車出しますよ~ でも昨日仕事終わったの10時過ぎてた~ 疲れた。 夕飯コンビに弁当で食べたの11時過ぎだったし。 あまりに疲れてよく眠れなかった。 小樽にでも行ってこようかな~
2007年08月20日
おもいたったら吉日で、 なんだか久しぶりに投稿してみたくなり アカウント名や、 パスワードを、 頭の奥からひねくりだして、 復活した。 プロフにはこんなことが。 『札幌市北区の大学院生。最初の応援は予備校時代(2000年)の厚別での浦和戦。やっと2005年になってハーフシーズンチケットを買い、ファンクラブにも入る。サッカーを見るのもするのも好きです。06年からはついにシーチケとレプリカユニを買う。』 今は就職して、札幌にはいない。 札幌から、大体100kmくらいのところだ。 でも、今年もやっぱりフルシーズンパスを買った。 コンサのサポであることには変わらない。 学生という身分から離れ、 自分の稼いだお金でメシを食っている。 同期のやつらから比べたら、 給料は少ないけれど、 それでも、自分の生まれ育った北海道という大地を、 北海道に住む人間を、 愛しているから、 今の仕事についたことに、後悔はない。 もちろん、ホームゲームにはできるだけいく。 今までと変わったことは、 自分の車で行くようになった。 まだ3年もローンの残っている車で。 思い出せば、浪人の頃、初観戦したのはあのJ2時代の浦和戦@厚別だった。 あの年、札幌はJ2優勝して、J1昇格を果たした。 それからいろいろなことがあった。 札幌ドームのチケットが取れなかったことがあった。 すばらしい外国人選手も来た。 活躍できずに、途中でチームを去っていった選手もいた。 監督が何度も変わり、チームはJ2に落ちた。 すばらしい外国人選手がたくさんやってきたけれど、 チームは『サッカー』ができなかった。 結局、1から出直すことになった。 実績のある日本人監督の下、 チームは流動的なシステムを持つサッカーを目指した。 たくさん負けたけど、 若いチームは『サッカー』になってきた。 そんな中、 若気の至りか、自覚のなさか、 サッカー以外の理由で、チームを離れなければならない選手もいた。 チームの創設にかかわった人が、過ちを犯した。 でも、少しづつ、 『サッカー』ができるようになってきた。 『アクションサッカー』は麻薬だった。 流動的なシステム、 ポゼッションと連動性を意識したサッカーは、 若さあふれる強力な外国人ストライカーの力を合わせ、 時として非情なまでの切れ味を見せるまでになった。 その反動か、 チームの意思統一にぽっかりと穴が開いたような、 そんなサッカーを見せられることもあった。 それは、大事な試合の、 ロスタイムにさえ起きた。 2点差で勝っていたというのにだ。 2007年、諸刃の剣への誘惑から、 堅実な『サッカー』を目指した。 序盤はどうなるかと思ったが、 ゴール前に城砦を築き、 豊富な運動量で相手をかき回す、 そんなサッカーに変貌した。 少しづつ他のチームとの差を広げ、 J1を本気で狙えるチームになった。 最初は、守備重視のチームだったかもしれない。 でも今はどうだ。 J2トップクラスの攻撃力を持つチームとも点を取り合い、 蹴り勝つ。 時に諸刃の剣を引き抜き、 相手を切り裂く。 札幌ドームができた年に、 大卒で入ってきたFWは、 変なところにしか飛ばないヘディングしかできなかったけれど、 Jリーグ最後の延長戦で、 ハットトリックを決め、 揶揄されながらもセンターバックの定位置を確保し、 その身体能力の高さを生かし、 いまやJ2屈指のDFに。 ヘディングは攻守において彼のストロングポイントとなり、 チームのストロングポイントになった。 7年前から比べれば、 いい『サッカー』ができるようになってきたって、 ゲームを見ればわかるようになってきただろ? なんだかんだいわれたトルシエも、 今では名監督だったといっても 差し支えないだろ? 7年前から比べれば、 スター選手もいないし、 有名な監督だっていないけれど、 いい『サッカー』ができるようになったって、 胸を張っていえるんじゃないか? 『選手層が薄い』なんてシーズン開幕時に言われたチームは、 今じゃ『ベンチメンバーは反則』って言われてるんだぜ? 選手も、サポーターも、 そろそろ自信を持っていい頃だ。 自分たちの力で、J1に戻ろう。
プロフィール
『エネルギーのふるさと』の近くで働いています。 ホームゲームはできるだけ駆けつけています。 後志管内のサポーターの皆さん、仲良くしましょうw
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