2020年06月14日
ウィーリーグが唐突に秋春制での発足を発表した。 これが、Jリーグの秋春制移行に繋がらなければいいのだが。 女子プロサッカーリーグが秋春制でスタートすることに、道内関係者の反応はどうだったのだろうか? 将来的に、北海道の女子チームが参加しづらい状況は目に見えているが、北海道サッカー協会は何の抵抗もしなかったのか? 本来、秋春制の反対行動は、北海道勢が中心になってもいいと思っているが、現実はそうではない。 2008年の反対署名活動時も、新潟のサポーターが中心になって始めたものに、私が協力する形だった。 コンサドーレサポーターは、圧倒的に秋春制に反対する人が多いことが前提だが、これがなぜ、北海道全体の運動とならないのか考えてみる。 まず、北海道サッカー協会。 これは、日本サッカー協会の支配下にあるようだ。 このため、2008年に、当時の犬飼日本サッカー協会会長が各地に秋春制の意見聴取の行脚をした時も、表立って反対はしてくれなかったようだ。 当時の記憶では、地方で反対してくれたサッカー協会は、ほとんどなかったのではないか。 次に、北海道サッカー界のキーマンである野々村コンサドーレ社長。 元々、社長は「秋春制絶対反対」ではない。 サポーターズ集会での、私の質問にも、こう答えている。 「あなたは、なぜ、『絶対反対』なんですか?条件が整えば可能性はありますよ。冬季の練習場とか試合会場の問題とかを日本サッカー協会とかが対応してくれるのであればいいのではないですか?ただ、今は、そういう対応ができていないから『今、秋春制はできません』と、ハッキリ言えますよね」 この野々村社長の意見には、賛成できない。 「条件が整う」とはどういうことか。この時の社長の発言のニュアンスでは、「コンサドーレが冬季に練習と試合ができるようになれば、とりあえずオッケー」と考えているように聞こえた。(聞き間違いであればすみません) 札幌だけでも、「冬季に練習と試合ができる環境」なるものに膨大な費用がかかることは目に見えている。 まして、それを北国全体にできる可能性は全くない。 だから、秋春制に反対しているのである。 次に北国のサポーター。 2008年に署名をして、日本サッカー協会へ乗り込んで交渉したのは2009年だった。 大変だった。 私の力不足で、札幌のサポーター全体を動かすことはできなかった。 協力してくれたサポーターは大勢いたが、ほとんど無名のサポーターだった。 だが、しっかりと意思表示ができる力強い仲間だった。 大勢のサポーターからのカンパはあったが、東京へ行く費用も、自腹だった。 妻と二人分の費用負担はきつかった。 我々よりもしっかりとしたサポーターがたくさん出てくれたらなあ・・・。 出発前に、道内全てのマスコミに、東京での取材を依頼したが、芳しい反応は少なかった。 これに対し、運動の中心になった新潟は、テレビ局が、記者会見とサッカー協会との交渉を取材してくれた。 マスコミは、結果的には全国的に報じてもらえたので良かったが。 で、サポーターである。もっとコンサドーレサポーターが動き出せないだろうか? ウィーリーグの秋春制という既成事実を作られた今、動き出すにはどうしたら良いか? リラコンサドーレもノルディーア北海道も目標はトップリーグだろうから、秋春制は、絶対的に不利だ。 何の手当てもなく秋春制にするのであれば「世界のシーズン基準に合わせるために、北国のチームは犠牲になってください」とハッキリ言ってもらったほうがいいくらいだ。 さてさて、何から始めればいいのか?
プロフィール
トレードマークのカーニバルハットを被って応援してます。 趣味は、コンサドーレとロックと温泉とお酒と鉄道を少々。 バルセロナのような後援会(ソシオ)でチームを維持できるようになるのが夢。 Jリーグ冬開催(秋春制)に絶大反対しています。一部の権力者がこの提案を撤回するまで戦います。 で、犬飼さんは退任した。でも、秋春制問題はいつまでも「検討」の対象のようですので、一旦、勝利の美酒を飲みながら、気長に戦い続けましょう.。
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