青函連絡船があったころ。

2006年04月07日

GWに会社の先輩の実家にお花見をかねて行くことになった。夜の特急で函館まで行き、そのまま青函連絡船に乗り、早朝の青森に到着。駅弁を買って始発の汽車で弘前公園へ。桜がきれいでした。ぶらぶら散策後、五所川原駅よりストーブ列車で有名な津軽鉄道に乗って金木町(現五所川原市)の先輩の実家へ。さらに奥・中里町の先輩のお母さんの実家へ。おばあさんの法事があったのです。のこのこついていきました、私。

お母さんの実家には土間があり、本物の大黒柱があり、旅の画家さんが絵を描いたという襖がありました。旧家というのでしょう、たぶん。
そのまま親戚の方たちに混じって食事をし、おしゃべりをしていました。
が、どうしても会話にならなかったのがお父さん。ばりばりの津軽弁。どうにかしたいと先輩に助けを求める。が、半分も分からないとお母さんに助けを求める。お母さんを介して成立!お父さんの言ったことをふたつの通訳を介して私に届く。不思議な時間でした。楽しかった。

翌日、新緑の奥入瀬渓流、十和田湖へ連れて行ってもらい、夜の弘前公園で違う桜を堪能したのでした。


post by kode

21:09

雑感 コメント(3)

この記事に対するコメント一覧

ropeiro

Re:青函連絡船があったころ。

2006-04-07 21:16

初めまして。 青函連絡船なんて懐かしいな。 初めて乗ったのが1976年3月25日。十和田丸でした。 以後、学生時代を東京で過ごしたこともあり、廃止になるまで全部で31回乗りました。 片道4時間の旅でしたが、その1回1回が人生の節目だったりしています。

kode

Re:青函連絡船があったころ。

2006-04-07 23:02

>ropeiro さん はじめまして。ようこそ。 いるかには会えましたか?私は1度だけ泳いでいる背中を見たことがあります。 どんなに揺れても船酔いだけはしませんでした。ちょっとした自慢です。

ニセユーミン

Re:青函連絡船があったころ。

2006-04-08 19:32

圧倒される程の、満開の桜の下で、 気絶しそうな程の、桜の香りと薄桃色を、 いつか堪能してみたいものですね。 いつもこの時期になると、そんな話になってしまいますな。 私は、三半規管が発達しすぎてる?せいか、 船酔いや、その類いにはめっぽう弱いです。 人にぐるぐるふり回されただけで、ふらふら・・・

コメントする