おかえり。

2006年10月21日

さっくりと10年をふりかえってみますよ(挨拶).

コンサドーレが北海道に来た年。
正直プロに近いJFLのサッカーチームがまるごとやってくるなんて信じられなかったし、「本当によく来てくれた」と思ってました。今になって考えてみれば、バブル崩壊の景気の悪化とかがない限りこんなことはおき得なかったわけでこの場合吉になったんだけど(チームごとなくなったJFLの西濃運輸とか、J1なのになくならざるを得なかった横浜フリューゲルスとかに比べれば幸せだったという点で).

まあ来て早々アルシンドには本当にがっかりすることにはなりましたが、今回サンクスマッチに出てくれるMr.0, ペレイラとかのすごい人たちが北海道に来てくれるというのが嬉しかったり。

とはいえ、確かはじめの2, 3年は試合を見に行かずに新聞やニュースだけでしか札幌を見てませんでしたが。それでも相当興味を持っていたんで、木島さんとかの元東芝の選手が大量解雇されるのにプロの厳しさとやりきれなさを感じた覚えがあります。
で、木島さんたちがベアフット夕張を立ち上げてくれたのも本当に嬉しかったなと。自分たちの作ってきたチームなのに北海道まで引きずり回されて解雇されて、北海道自体を嫌いになってもおかしくないのにそのまま残ってサッカーを広めてくれたのは本当にありがたいことだと思いますよ。

そして落とせないのがコンサドーレの元祖美白吉原選手。
移籍報道が出る前日と当日に練習見学に行ってたんですが、そのとき前日のがただのサインだったのに、その当日のがコンサドーレ札幌'吉原宏太になってたのに「ああ、やっぱり移籍を考えてるんだろうなあ」と思ったり。
そのときにあわせてもらったのが、関選手のサイン。
というか、そのころはまだ栗山で練習してたときで、たまたま鍵を車に閉じこんで、まわりでどうしようJAF呼ぶかとかといってるときに偶然居合わせた鍵師のサポが窓ガラスの隙間から金物をかしゃかしゃやってあけるなんていうことがあったりしましたが。
そもそもchooさんのネタ記事には載ってないけど、レンタルで出されてた東京ガス(現セクシー東京)でJFL日本人得点王をとってたんですよ。それですごく期待してて、きたらやっぱり外国人選手よりとはいわないにしても試合数からみて結構決めてたと。戦力外報道のときに「もったいないなあ」と思ってたし、その後道新の記事で2月ぐらいに次の就職先を決めるのに苦労されてた話がコラム記事になってたときに、すごくあれだけがんばってた選手をどうもできないってのをもどかしく思った記憶があります。
ぐるっと回ってきてコンサにコーチで戻ってきてくれてとても嬉しかったなあと。

......昨日から少しずつ書いてたんですが、OB戦見てたら時間なくなりましたんでこの辺で。
このお二人もお帰り。
最終節といわず、11月末あたりに間に合うかなあ。

さて、OBたちはがんばってくれてました。ていうかペレイラ相変わらずすげーし。
今度は今の人たちが魅せる番ですよ?


この記事に対するコメント一覧

コメントする