2008年12月07日
札幌のゴール裏は基本的に浦和や鹿島ほど強力にコールを引っ張るグループは存在していない。それは今も昔も変わらない。 もしもUSが創設された段階からUSを頂点とするゴール裏を形成しようしていたなら、昨今のような情勢になっていなかっただろう。 数は少なくても今よりましな応援のありかたがあったのかもしれない。 無論それを私が支持したかはわからない。 USを批判していた人は、結局分裂応援をしたのだろうか? 鹿島戦で今まで以上に声を出したのだろうか? ブログやミクシでは私と同じく大言をたたいたわりには、実際のところ大したことをしなかった人が大半だというのが率直な感想。 もはやコンサのサポーターはサポーターを名乗る価値のない人が大半になってしまったのだろうか? USのメンバーの行動がUSたたきの材料になっているようだ。 アントラーズサポからの札幌コールを返さなかったのが気に入らないとか、鹿嶋に対する拍手をしたコンササポの行動に対してUSのメンバーがとった言動が気に入らないとか。まるで意味もない。なんの発展性も。前進性もない不毛な言葉遊びを繰り広げている。 US叩きの本質はアンチUSが必要以上にネットで煽るということに尽きる。 本来ひとりひとりのサポーターがどうするべきか、行動するべきかという話を完全に投げ出してUS叩きをするというおなじみのことを繰り返して、サポーター全体の問題から目をそむけ続けて、今シーズンのながれの中でもともとバラバラだったゴール裏の化けの皮がはがれたのではないか。 今コンサのゴール裏がバラバラだというが原因はUSにあるわけじゃない。 2003年ごろから熱い応援をしようという運動していた人はいたが、全体としてそれを支持して広げようとしてこなかった。サポーター全体としてひとりひとりが応援のあり方を考えず。都合のいいときにUSに依存し、都合が悪ければ叩く。ゴール裏サポーターのご都合主義の結果だ。 一部のブログはUSに応援のビジョンを示せと言った。 しかしUSがそんなもの示せば。また叩く材料を提供するようなものだ。 揚げ足を取ろうという態度は応援自粛の一件でも明らか。 またUSに一般もまきこむよな応援にしようということをUSに要求するひとがいるが、そういう努力は2003年ごろからUSじゃないサポーターが何度なく提起しつづけて失敗していることだということをよく理解するべきだ。ゴール裏の大半のサポーターは熱く応援しようという行動を長年拒否し続けている。 本当にUSが気に入らないなら、本当に選手に届く応援がしたいというなら分裂応援に踏み切ればいいのだが、鹿嶋戦で浦和戦に続いて分裂応援する集団はいたのだろうか? 私は前にコンサのサポーターに分裂応援できるほどのエネルギーはないと言った。おそらく来期にいたってもコンサのサポーターに分裂応援するほどのエネルギーはないということは証明され続けるだろう。 US叩いても結局その程度の連中が騒いでいるだけだ。 USの一部の行動をとりあげて叩くこと自体完全に無意味ということをすこしは理解するべき。 自分はUSではない。彼らを全面的に支持しているわけでもない。 しかしUSを叩いている側の話があまりにも幼稚に見えるから、ゴール裏のありかたという基本的問題をUSとUS叩きしている連中どちらが考えているだろうかと思えば。まだUSのほうが考えているだろうし、実際行動している。 USがゴール裏でもっとも目立つ団体である以上個人の行き過ぎた行動で槍玉にあげられるのは当然だということを理解している。 しかし多くのサポーターがゴール裏の空中分解を感じているときに、本来議論や行動すべき部分はそんな仔細なことだろうか? 言いたいことは 今のゴール裏の問題は常にUSを槍玉にあげる傾向があるが、それよりも個々のサポーターのUSを都合よくつかうご都合主義こそ問題だ。 本当にUSのやり方で選手に届く応援ができないと思うなら新しく応援の先導団体を立てて分裂応援に踏み切るべきだ。 しかしそんなエネルギーを持ち合わせているところは今のコンササポーターに存在しない。 この2点だけだ。 アホでもなんでも結構。 しかし今のコンササポーターが熱くてすばらいい根拠はゴール裏にない。あるならだれか示してくれ。映像でも文章でも。 できない奴ばっかじゃないか!
2008年11月11日
コンササポーターは降格という状況に対して、USを攻撃するという行動にでている。なぜ降格したかについて議論していない。 USの行動への批判やら応援論などというものに話を転換して現実逃避を続けている。 今はUSを叩くという現実逃避を行う時期ではなく、降格のなぜについて考える時期ではないか。 なにお今さらUS叩いて喜んでいるのかとあきれるばかりだ。 2004年ごろからいい応援しようと運動していた人々に大半のサポーターは協力していなかったにもかかわらず、である。 今回の降格の原因には意識の低い、闘争心の欠落した選手はもちろんのこと、そういう選手に影響を与えない応援に終始したサポーターの意識の低さも挙げられるだろう。J2でも大した応援ができなかった連中が、J1にあがって突然いい応援ができるわけではないことを明らかにしている。 ゴール裏を観察すればよくわかるが、人数のわりに声量はない。声をだしていない人間がいかに多いことか。 これはUSが同じコールを長くすることが原因ではなく、最初から声がでていないのだ。 最初から声を出さない人間への働きかけがなく、責任をUSに押し付けるやりかたが、間違っているから、5年あまりコンサのホームゴール裏は停滞し、後退し続けている。 USへいくら文句を並べ立ててもコンサの応援はかわらない。 本気で改革するなら文句を並べてている人間が分裂応援して理想を追求したらよい。個々のサポーターが良いほうを選択するだろう。 私はそういうことにならないと思うしそんなエネルギーはないと思っている。あるならとうの昔にやっていただろう。 だいたいがUSへ依存し、都合のいいときに賛同し都合が悪くなればUSを叩くだけ。3度目の降格という事態に危機感を抱く人間はほぼ皆無だ。 この行く末は限りなく暗い。 腐ったリンゴしか入っていない箱のなかに新鮮なリンゴを入れれば無論そのリンゴも腐る。 コンサ全体は腐ったリンゴが入っている箱だ。どんなに新鮮なリンゴをいれても必ず腐る。 箱の中のリンゴをすてなければいけない。しかし今のコンサにそれもできない。
2008年11月09日
USの応援自粛のネット上における反応は非常に大きい。 意見はいろいろあるし、ここと同レベルのものもあるが、意見として興味のあるものも少なくない。 しかしUSの行動に賛同できない人の賛同できない理由というものがなかなかはっきりしない印象を受ける。 ここに直リン貼るのは迷惑だろうから張らないけれども。 USの行動に賛同でない理由を突き詰めて述べずに、いきなりUS批判が展開されたり、持論を展開されたりする。 それでは残念ながらただのUSという存在への批判であって、USの主張への批判になっていないだろう。 問題の出発点は降格という現実をどう捉え、なにを改め、なにを守り育てるかではないだろうか? 人によっては、それはサポ集でやることだという。 シーズン直前に行われる集会で2009年シーズンの問題、改革すべき議論ができるのだろうか?結局2003年のような空白のシーズンをひとつ生むだけだ。 降格が決まった以上すみやかに次の話へ進むのは至極当然だ。 応援自粛した側もしなかった側も2002年の降格から今回の降格までを振り返ってみた方がいい。どこでなにが狂い。どこが間違っていなかったのかをかんがえてみるがいい。 チームの新しい方針をどうするべきでHFCになにを求めるのか? これもサポーターを名乗るならばやるべきことじゃないのか? 話題変更 今回の応援を分裂応援と評した人が多いが、応援していないUSと応援をしたサポーターという関係は厳密に言えば分裂応援とは言わない。 USが応援を再開したとき、USのコールに反して違う応援のモーションをとる。これが分裂応援だ。 やるならUSが応援を再開しても、USと張り合えばいい。 それこそコンサに分裂応援の時代到来だと思うが、きっとそういうことにはならないだろう。 そんなエネルギーがあるなら、今シーズンもう少しマシな応援ができたはずだからだ。J2のころとなにも変わらない惰性の応援をつづけてきたから、選手にはなにも伝わらなかった。 USに依存してきたから、USが動かないから今までだれも動かなかった。 USが動けば、なにを今更という。もっと早くやればいいという。 人によってはUSは便利なスケープゴートだ。 人によってはUS対ほかのサポーターという対立構造に矮小化したくてたまらない人もいるだろう。 そこで終わってくれれば、HFCは追及から逃れられるからだ。 選手がかわっても、監督が変わっても、同じ選手のモチベーションの低下やハングリーさの欠如を指摘される。 変わっていないはフロントの姿勢とサポーター。 いい加減自分たちの立ち位置を考えた方がいいだろう。
2008年11月08日
J2札幌・・・事実だね。 2000年。私とってまだテレビの向こう側の出来事であった札幌と浦和の熾烈なJ1昇格争い。今の世の中情報だけならネットでしらべれば図書館に行く必要もなく、自宅で調べることができる。 「田北おまえはもう死んでいる!byエメルソン」 のダンマクはいつぞやに浦和サポの手にわたり 「洋平おまえはもう死んでいる!byエメルソン」 を経て 「札幌おまえはもう死んでいる!byエメルソン」 になったようだ。 この幕は埼スタでも掲示されていたそうな。 私は2003年はじめてスタジアムに足を運んだ人だ。 だからこの幕を直接みたことはない。しかし知っている。 2000年に味わった浦和の屈辱を忘れていないという札幌へのメッセージなのだろう。 一瞬の夢を見た札幌は、一瞬より延々とながいつらい現実をいつも見つめているが、大半の人は目をそむけているばかりだ。 だから同じ過ちを繰り返す。 負け犬根性が染み付いた人間ほど、選手はがんばったんだ。だからそれでいいのだと言う。 選手にもはや戦う気がなくとも、非難されないのが現在の札幌だ。 ブログでも現実でも、うわっつらだけの選手愛で選手とチームそのものを路頭に迷わせているのが札幌サポーターの真実だ。 今回各ブログをみると、将来的に分裂応援へはってんするのではないかと危惧する意見をみた。 分裂できるものならしてみろと思う。その行動には大きなエネルギーを使う。 分裂相手と競う部分もでてくるだろう。 はたしてそんな行動力とエネルギーをつかうだけの集団がでてくるのだろうか? そんなものがあるはずがない。 選手が漫然と試合を消化しているさまを漫然と放置してきた集団がUSの行動に反発して分裂応援の方向へ進むのは。、チームのためでも、選手のためでもなくUSへアンチテーゼいがいの意味合いはない。 ベクトルは選手に向いていない。 選手のふがいなさに、またはフロントのすっとこにベクトルが向くならもっとはやく行動が起きたはずだ。 USの仕掛けにあなたがたは乗っただけ。分裂応援も自発的な行動ではない。 USに今文句を言っている人は、USを批判しているだけで。チームの将来像を思考しているか? 嫌いなUSの行動だからなにかしらはねっかえっただけなのじゃないか? コンサはゆるやかな大きな集団を維持するために、矛盾に目をつぶり、いろんな人々は妥協に妥協を重ねたと思う。過去そういうフシをいくつも感じた。 2004年ごろから応援を熱くやろうとしかけた人もおおかったが、その試みはすべて失敗した。その背景に、矛盾を放置した結果ではないかと思う。 分裂する要因はあったがだれも引き金を引くことをしなかっただけ、引く必要もなかった。 USの応援自粛という引き金で多少分裂したようだが、USが応援を再開したときこそ本当に分裂するか否か試されるときだ。 分裂応援は相当のエネルギーを消費すると思うが、そんなものが、今のコンサのゴール裏にあるか大変興味がある。 今回USの方針に反してトラメガをもった方は大変グダグダなリードをしたそうで。 本当にUSに反してコールをとるなら、USのコールリーダに勝るとも劣らないリードをしなければ、選手に失礼だ。相手にも失礼だと思う。 それは本当にベクトルが選手に向いた行為だったのか疑問だ。 行動が大事ではない。内容も大事だ。 もし今回リードした人間がしっかりと引っ張れば、USの面目が潰れたかもしれない。そうなればまさしく恒常的分裂応援への道だ。 実際どうだったのだろうか? おそらく ただの自己満足。グループの満足だったのかもしれない。 幕一枚にも歴史がある。 そこからくみ取ることのできる歴史は記録され継承されるべきだ。 歴史は記録されるだけだが、過去の過ちを正すせば歴史は教訓になる。 いったいコンサは何度同じ過ちを繰り返すのか。 フロントもサポーターも。 コンサに対して私も罪深い。
2008年11月07日
こんなモノは路傍の落書きでゴミだ。 ネットのなかにしか存在できない以上なにもできない。 希薄な現実の存在価値に多少の理由付けができるなら、それはそれでいいのかもしれない。 さて なにかしらUSの応援自粛に関する全体的な方向性がでてきて、浦和戦に最後まで応援を貫く人とそうでない人 さいしょにいっておくけどここの世界はネット上なのだよ。 相当お痛を働かないと現実世界で制裁されることがない。 私のようなモノでも上から目線で語ることができるし、年齢の差もなくなる。 ネットだけで偏見の応酬を繰り広げているだけじゃ。 そのコンサへの愛は偽りだ。 もしあなたが本気で応援するならひとりでもチャントを歌うかもしれないし、そうでないかもしれない。 だれかが太鼓を持ち出し、コールを引っ張る人が現れるかもしれない。 完全に応援拒否の姿勢をとるひともいれば、USに詰め寄る人もいるかもしれない。 明日ドームへ行く人は、特にゴール裏の住人はそこらへんの行動を明確にしてもらいと思う。 お互いやるならトコトンやったほうがいい。 真剣にやりあってこそ、ほんとうの理解が生まれるのではないでしょうか? もともと応援についての議論そのもがまともになされたことなどなかったわけですし。
検索