2007年03月03日
シーズンあけましておめでとうございます。今年もよろしく。>挨拶
コンサドーレ札幌応援宣言2007
11年前、北海道唯一のプロスポーツチームとして、生まれた「コンサドーレ札幌」。
現在は北海道日本ハムファイターズも北海道移転し、【唯一のプロサッカーチーム】となりましが。
この11年の間に、北海道のスポーツがコンサドーレを中心に目まぐるしく変わっていきました。
その中には幾度とない歓喜、そして苦悩がありました。
今年からの10年、20年・・・は歓喜が上回れるように絶対にしていきたいですよね。
そのためにも、サポーターからもどんどんアクションを起こし変わって行かなければならないと思います。
2002年には2度目のJ2降格で2003年よりJ2で戦うことになってしまったとき、サポーターが流した涙は必ずクラブ・チームに伝わっているはずです。
二度とこの悲劇を繰り返さないためにも、サポーターも一体となって戦うことが今一度必要になります。
今季は更なる勝負の年、大きな努力がチーム・サポーターの双方に必要です。
1996年はコンサドーレ札幌という地元チームの誕生に沸き。
1997年はJFLという舞台でウーゴ・マラドーナ、アルシンドなどといった時の名選手が在籍し、Jへの喜びを噛みしめました。
1998年、Jリーグの怖さを知った年でもありました。
1999年には、前年サッカーワールドカップ日本代表監督であった岡田武史氏が采配を振りましたが、惜しくもJ1昇格ならず。
2000年にはJ2優勝といった形でJ1の舞台へのし上がるのでした。
2001年には身の丈にあった戦い方でしっかりJ1残留。
しかし、2002年の日韓ワールドカップイヤーには最速でJ2降格が決定してしまいます。
2003年、ウィル・ホベルッチ・ベットの外国人3人で臨んだシーズン。
残念ながら、怪我・監督との確執・ホームシックといった理由でシーズン途中で外国人が総入れ替えとなってしまいましたね。
この年今までの「外国人に頼る」という体質から抜け出すため、「5段階計画」を打ち出しました。
その中には、一定の状況になるまで外国人選手は獲得しないという事項も盛り込まれています。
そのため、「5段階計画」初年度の2004年は外国人0人で臨む『純国産』での戦いとなりました。
2004年から監督に就任した柳下正明監督は「アクションサッカー」を掲げリーグベスト5を目指しました。
J2では主流の「リアクションサッカー」に挑もうとする姿勢も示しました。
しかし、戦術の不慣れ・初の外国人選手0人ということもあってか、リーグは最下位で終えることになりました。
ただ、天皇杯でジュビロ磐田に敗れるまでベスト8に進む健闘で、来季への希望を見出しました。
2005年。
柳下体制2年目はレベルアップを目指した「アクション&ムービングサッカー」を掲げ、目標は前年達成できなかったベスト5に。
前年生え抜きのみだった補強も元U-23日本代表GK林卓人・鹿島アントラーズ池内友彦・中国籍選手徐暁飛を含む即戦力メインになりました。
シーズンも出だしこそ躓きましたが、前期を終えて3位。十分J1を狙える範囲で後期を迎えます。
しかし、後期始めの徳島ヴォルティス戦からズテズテと躓き始め、悲劇ともいえるホーム42節ヴァンフォーレ甲府戦には逆転負けで、完全にチャンスは消えてしまいました。
しかし、その後2連勝し、10周年目である2006年に繋げました。
こうして、10年間を見ると長いようで意外と短かったのかもしれません。
その2006年。
10周年という、なかなか体験できない緊張と興奮の中、実質外国人1人という体制で、スタートしました。
「フッキ」がただただ目立っていた、そういってしまえばそうなのかもしれません。しかし、柳下前監督が2004年から3年間かけて作ってきた「アクションサッカー」は、はまりさえすればその輪郭をはっきりとさせたのです。
北海道日本ハムファイターズのリーグ一の陰で行われた大雨の中の3000人の声援に自分の声が刻まれていたという感動は、僕自身何事にも変えがたいものがあります。本気だったのです。
近年4年間ほどは暗い面が多かったですが、04後半05年そして06年には期待できるような結果を残しています。
もちろんそれより前にも数々の功績を残しています。
日本代表に選ばれた経験がある、現大宮アルディージャ・吉原宏太、元U-23日本代表,現日本代表でFC東京の今野泰幸、元U-21日本代表現ガンバ大阪・藤ヶ谷陽介、現横浜・F・マリノス・山瀬功治など、有能選手も多数輩出しているコンサドーレ。
この様な戦力を留めさせられなかったのは残念ですが、現在在籍している選手も更なる成長を目指して練習に励んでいます。
現に今季、J2全試合出場のGK高木貴弘、J優秀選手賞受賞のブルーノクアドロス、ダヴィ・カウエの両新外国人を獲得し、昇格への戦力を補強しています。また、若き才能、石井・藤田両選手が別々ではありますが、各世代代表候補合宿にも召集されました。
1996年の誕生、1997年の歓喜、1998年の悲劇、1999年の悔しさ、2000年の興奮、2001年の一瞬だった安堵、2002年の涙、2003年の怒り、2004年の期待、2005年の沈黙、2006年の新たな期待に思いを馳せながら、新体制の2007年を、サポーター・チーム一体となって戦おうではありませんか。
2005年11月に開設された、コンサドーレ札幌オフィシャルブログ。
時には論争。時には楽しい話し合いもネット上で今も繰り広げられています。
ブログの更なる繁栄を願っています。
チームをいつまでも後押しできるのは、他ではない『日本一』であるはずの我々コンサドーレ札幌サポーターです。
「POWER to 1」我々の目標J1に向けて、そして未開の地まで。
我々の1年は今日からです。
kozo
Re:コンサドーレ札幌応援宣言2007「POWER to 1」
2007-03-03 14:13
一緒に思い出してしまいました。 私達は、北海道にある唯一のプロサッカーチーム を愛し、選手達と共に歩いていかなければなりませんね。 さてと、本日は、目標のJ1復帰に向けての第一歩の日ですね。 応援頑張りますか。
harakei.
kozoさん
2007-03-03 14:15
コメントありがとうございます。 また、熱いシーズンが始まりますね。 我々も、少しでも後押しできるように頑張りましょう!
プロフィール
NAME→ハラケー 札幌市内在住 誕生日:カウエの1ヵ月後、藤田・岩沼の1日前、黄川田(弟)と同じ日 尊敬するのは曽田先輩← Mr.Childrenマニアへの道を歩んでいる。ついに2008年1月にはアルバム全部そろえてしまった。 2009年4月、久々のライブ2Days参戦! 青春を代表する曲は「箒星」 所属:コンサドーレ札幌ファンクラブ「Doze」、コンサドーレ札幌北海道後援会、コンサドーレ札幌持株会、Mr.Childrenファンクラブ「Father&Mother」 2001~2004年は、S席、B席後ろの静観組だったが、友達の誘いもあり、2005年から熱烈サポーターに。2006年からはサポ会議などにも積極的に参加し、クラブ(会社)のことまで考え始める。 TVスポーツコーナーでのちょい映りは数知れないが、 ちゃっかり地域FM番組を持っちゃったりして、コンサドーレコーナーを担当する。 こっそり月曜サポスタレギュラーの座も狙っているらしい。 ちなみに、実年齢を一発で当てる人はまずいない。確実に5~10歳外されます。果たして若いのか老けてるのか。。。 2007.4~2008.3.25 FMパンプキン「Nature's Passion」MC・コンサドーレコーナー担当 2008.4.1~ FMパンプキン「なちゅ☆すた」MC・コンサドーレコーナー担当(2008.5.27~2009.3.8一時降板) 2007.5~2008.3 J:COM札幌「月曜サポスタ」に出演 2007.8.20 三角山放送局「コンサドーレ GO WEST!」に出演 旗振り観戦記録・・・2007年 全24試合中(ホーム) 23戦13勝8分2敗 37得点19失点(+18) 【AWAY 1戦1勝 3得点(+3)】【天皇杯 1戦1敗 1得点1失点(PK9得点10失点)】 2008年 全17試合中(ホーム)6戦1勝1分4敗 得点7 失点12(-5)【ナビスコカップ 3試合中0戦】 2009年 全 試合中(ホーム)2戦0勝0分2敗 得点0 失点2(-2) 初観戦は「2001年 J1リーグ2ndステージ第9節VS広島@厚別」 ・晴れて2006年4月1日サッカー4級審判資格取得! 2007年度も更新 2008年度は失効中。夏を目途に受けなおし 2009年度は春に行かないとやばい。 ・現在AWAY参戦勝率100%!!(2試合) 制覇スタジアム:厚別競技場・札幌ドーム・室蘭入江・函館・味の素・フクアリ・敷島(正田醤油スタ) ふぃっふ~ふっふふっふ~~ふっふっふっふぅ~~~♪ ♪~(´ε`) エントリ中に時折出てくるMr.Childrenの曲の歌詞については 桜井和寿氏に著作権が存在します。
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