彼らの勇姿シリーズ~田畑昭宏~

2005年12月08日

時々(?)お送りしています「彼らの勇姿」シリーズですが、最終回の今日は「田畑昭宏」選手です。

彼が入団したのは2003年。ジョアンカルロス政権の年だった。
浦和・市原(現千葉)などを渡り歩いてきた田畑は、経験を期待されてきた。
高さが持ち味のボランチは、この年の札幌にいないタイプの選手だった。

入団当初は、一部で中傷的意見も出たが、それをよせつけない活躍で、その意見を静めた。
2004年は、PKキッカーとして新居が居ない試合は田畑がPKを蹴り、何度か得点シーンも見られた。
また、選手会長としても活躍した。
2005年のキャンプで、(※)チームリーダーが決まっていない時には代表して監督に意見を告げに行った。

シーズン中も、主力として活躍するも、途中からは若手選手に押され、活躍の場を徐々に失っていった。
ただ、そんな中でもファンサービスは欠かさず、他の選手が裏道から帰っても、正面玄関から出てきて、サインや握手に応えていた。

一時はベンチ外が目立ったが、シーズン終盤には、再びチャンスが巡ってくる。
その高さを生かして、田畑君臨を思わせた。

しかし、まさかの戦力外通告
来季ボランチ中心の補強を進めるチームの方針からだった。

ありがとう。田畑。君のリーダーシップ・勇姿を忘れない。

※柳下監督は、キャプテンではなくチームリーダーと呼ぶ


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彼らの勇姿シリーズ~堀井岳也~

2005年12月06日

先日よりお送りしています「彼らの勇姿」シリーズですが、第2回の今日は「堀井岳也」選手です。

彼は、2001年、優勝争いを繰り広げていたモンテディオ山形から、途中加入した。
札幌デビュー戦では「Vゴール」でのデビューでサポーターの目に、そのゴールを焼き付けた。
2003年は、背番号16だったが、2004年からは本人の希望で9に。
ストライカーとしての意欲を見せた。
2003~2004は出場回数・ゴール共に多く、期待通りの活躍をした。
そうして迎えた2005年。
第3節ザスパ草津戦では、2ゴールを決め、「今年も。」という期待を抱かせた。

しかし、山形戦で骨折。
長期離脱を余儀なくされた。
その間にチームの成績は目まぐるしく変化を遂げた。
2クール終了時点で3位。
その後も入れ替え戦争いを繰り広げていた。
そして、負ければその時点で入れ替え戦への可能性が断たれる甲府戦。
途中出場で復帰。
「岳也ゲットゴール堀井岳也岳也ゲットゴール堀井岳也」
の大合唱で迎えられた。
 その試合は、得点こそ出来なかったが、完全復活への光を見せた。

その直後の戦力外通告

驚いたサポーターも多かった。
残念極まりないが、クラブ側としても、年齢・来季の構想を考えると仕方がないといった感じだろうか。

ありがとう。堀井岳也。君のゴール・勇姿を決して忘れない。



彼らの勇姿シリーズ~三原廣樹~

2005年12月04日

今日から時々(?)お送りします「彼らの勇姿」シリーズですが、第1回の今日は「三原廣樹」選手です。

三原選手が入団したのは2003年。入団時期としては、砂川選手と同期となる。
一応、海外経験もあり、FKが得意ということで、期待度は高かった。
ストイコビッチ直伝といわれるFKは、彼最大の持ち味。
「さすが!」と言わせるようなFKを生み続け、サポーターを湧かせた。

そんな彼も、初得点は今季の甲府戦。
FKでのゴールではなかったが、長期離脱からの再生を見せた。
しかし、その後もなかなかスタメンで出場することが出来ず、悩む。

かつての勇姿はどこへ?

これからが本番。
といったところで、まさかの戦力外通告
10番の栄光を消し去られるように、チームを去ってしまうことに・・・

2005J2第44節。
試合直前にあの歌が歌われた。
「三原の左で決めちまえ~三原オーオオオーオーオオオーオー」
まさに大合唱だった。
試合は途中出場だったが、交代直後のフリーキックでかなり惜しいところまでいった。
サンクスウォークでは「Iラブ(ハートマーク)12」と書かれたビブスを着て、サポーターへの感謝を欠かせなかった。

ありがとう。三原。君の勇姿・FKを忘れない。