危険な思想

2008年06月05日

太田光的思想 >挨拶

都会人でもないのに、あまり夜空を見上げることはない。
たまにふと見上げると(昼)、あの青がとても清々しく感じる。

「よし、空を見よう」という日に限って曇り空だったりするのだが、稀にその気分と天気が合致すると、星とともに時間を過ごす。
と、いっても我が家のベランダにはイスを置くなんていう優雅なスペースはないので、もっぱら立ち見か部屋の中から(チキンだな・・・)。

日中、偶然天体に関するニュースや資料を見ると今自分達の見ている星の光は何十年、いや何百年何千年と昔の光なんだなということがふと思い出される。
この神秘のベールに包まれている感が、宇宙への興味につながっているのかもしれない。

ちっぽけな一人の人間がこう思おうが、世界の情勢にはなんら関係はないのだが、空を見る時間は、愛だ宗教だ戦争だ平和だといっているのさえも、なんだかどうでもよくなってしまう時間でもある。

もし、地球外に生命体が存在するならば、そちらからは江戸時代くらいの地球が見えているのかもしれないと考えるのもなんだか楽しい。

と、今はこんな落ち着いた行動をする人間であるが、幼いときは結構危険な思想の持ち主であった。


それはンン年前のこと。

幼稚園生くらいのことである(よく憶えてるな・・・)
自分に都合の悪いことは記憶から順次抹消されていく人間なので、細かいところまでは覚えていないのだが、
幼稚園には「理事長先生」という人物が存在した。
本当にその人物が理事長だったのかなど今では知るよしもないのだが、その女性が、深く関わる。

それは幼稚園の玄関。
玄関部分に上靴で侵入するのはご法度であったが、やむを得ず、一瞬渡ってしまったときのことである。
それまでは当然ながら模範的な児童であったが、こういうたまたま規則を犯したときに限って、目撃者と言うのはいるものである。
それが、その人だったのだ。

必要以上に怒られるもんだから、こちらも納得がいかない(幼稚園児の分際で)
普通のお子さんであればここで泣くか素直に謝るかの二択の選択を迫られると思うのだが、自分はなぜか違った。
これ以上怒らせてはいけないから、形式上謝るという行動に出たのだ。
我ながら恐ろしい。たった4,5歳。

何をしようとしたかと思えば


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