5.朝倉徳明さん

2006年08月12日

ここで97年の背番号順で選手を振り返るにあたって、すごく久しぶりに朝倉さんのことを思い出してました。
97年の当時ですら謎の人物だったもんですからごめんなさい。

私は、96年のオフシーズンからコンサを応援しようと思ったので、チームを応援するにあたって、誰か好きな選手を作ろうって思ったときに、コンスタントに試合に出ている選手を応援したほうが楽しいと思って、96年の試合によく出ていた選手にしようって思ったもんですから、実は朝倉さんも私にとっては応援候補のひとりで、97年も試合にいっぱいでるであろうと思っていた選手なんです。
というのも、96年の試合記録を見ているとたくさん出てました。それに比べると97年はあまり試合に出ていないんですよね。かといって、試合に出ると悪くないですから、いかにサッカーというのは監督次第で選手起用が違うものなんだなぁ~と朝倉さんを見ていて思ったのでした。
朝倉さんはボランチでしたが、当時のボランチといえば、コンササポにとっても太田貴光さんのほうがメジャーだったと思います。

練習後の服装は、うすピンクっぽいシャツをボタン少し開けていたイメージがとっても強くてかなりおしゃれさんでしたし、私にとって、当時から謎めいてましたし、現在も朝倉さんが何をなさっているのかも全く判らないのです。

ということで、当時の綴った文章をご覧くださいませ。

私が当時綴った「97年の選手たち」より~
朝倉徳明

タイトル:私にとって謎の人物な朝倉さん
フロントと折り合いが合わずに残念ながら退団になった朝倉さん。1月1日に出産予定だった子供は、無事産まれていると思うのですが、新聞に情報が入らないのでちょっと寂しいです・・・。

[残りの5試合出場]

朝倉さんは、ボランチの人。だから太田さんがずっとボランチで定着していたので、出番が少なかったようです。しかし、太田さんが累積警告で出られなかった厚別ホームでの第10節の本田技研戦や太田さんの怪我の為の残り5試合や天皇杯で活躍してくれました。そして、控えに入った3試合が本田技研戦と東ガス戦(2試合)なので、試合がピンチで困った時に出るというよりも、最初から東ガスと本田技研戦では、途中からダブルボランチで戦おうと監督が考えていた戦術だったのだろうと思ってしまいました。
かといっていつも太田さんの影に隠れてしまった朝倉さんの悔しさは何かしらあったと思います。新聞の記事とかでも太田さんの変わりといわれるのを嫌がっていたようですし。コンサドーレにやってくる前も、太田さんと同じ清水エスパルスだったわけですし・・・。

[免許が無い?]

朝倉さんは、免許をとっていないらしく、奥さんが運転して練習場にやってきているようでした。しかし、朝倉さんが帰っていく姿というのは、練習場であまり見かけないのです。私の中では、いつのまにか帰ってくる選手の1人です。ところで、94年のJリーグ名鑑の中に朝倉さんが載っているのですけど、その中に書かれていたコメントが練習に遅刻してくることが多いと書かれていました。でも、私が見ていた練習では、そんなことがなかったなぁと思ったのでした。それは、独身時代と違うからなのでしょうか。

[仲良しなひとは、誰だ?]

あんまり、朝倉さんのことがよくわからないというのは、ただ単に私が村田さんを基準に練習を見ているうえで、あまり村田さんとストレッチでペアを組んだり、ふざけていたりしないからなのですが、結局のところ、私は、朝倉さんが誰と一緒の行動をよくとっているのかがわからないのです。でも、一つだけわかったのが太田さんがいないと鳥居塚さんは朝倉さんと一緒の行動をとっていました。鳥居塚さんったら、太田さんとペアだったとおもったのにボランチの人が好きなのかしら・・・。

[ナンバーワン]

朝倉さんは、どちらかというと練習にもトレーナーなどの上下姿というよりも、シャツにスラックス姿が多かったと思うのです。それで、シャツもボタンを2~3個開けているのが多かったものですから、金のネックレスがチラチラと見えていました。どちらかといえば、胸元セクシーナンバーワンなのかしらって思ったりして。


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