3.ペレイラ

2006年08月10日

外国人選手の場合、呼び捨てになってしまう選手が多いんですけど、
ご多分にもれずペレイラも呼び捨て。(^^;
私の中では、マグマ大使に似ているなぁと思っていたのですが、
ペレイラファンの人には、似てないって怒られちゃいました。(^^;
でも、今でもマグマ大使を見るとペレイラを思い出します。(あまり見ないんですがね・・・)現在、ペレイラはどこにいるのでしょうか?

何年か前にちらっと札幌にやってきたときには、韓国チームのコーチをしていて、ビザの関係で一旦韓国を離れないといけないっていうことで北海道に遊びに来てましたが、その時は全く変っていなかったんですよね。
スタイルいいですよね~ジーンズがとっても似合ういい男でした。

ミスターコンサドーレと呼ばれてましたし、ペレイラが初期コンサを支えてくれたわけで。しかも、ペレイラファンは全国各地にいらっしゃいましたので、北海道に縁もゆかりもない方が、ペレイラのいるコンサのことを応援してくださったわけで。そういう面においても本当にありがたかったです。

ここんところコンサにやってくるブラジル人とは全く違うというか、日本語もしゃべってましたから、そういえばブラジル人だったんだよなっていう感じなのですが、ペレイラのいたコンサドーレは、まだ札幌市民のコンサドーレに対する認知度が低く、プロサッカー選手が札幌に住んでいるっていう意識があんまりなかった時期でして、タクシーの運転手さんとかにコンサの選手が札幌に住んでいるっていう話をしたらビックリしていたんですよ。チームが出来たっていうことまではわかっていても、住んで練習しているっていう意識が無かったんです。かくいう私も96年に札幌でたくさん試合をしていたことを知りませんでした。たまたまというか、仕事でコンサドーレのマスコットキャラクターのネーミング募集の話をすることになって、それを取材するのに全くコンサのことを知らないで取材するのは失礼かと思っていろいろ調べてビックリでした。96年当時からインターネットで発信しているファンページが充実していて、こんなにコンサのことを応援している人がいて、広報担当の方もとってもいい感じの方でした(当時は黒澤さんです)。しかも札幌でこんなに試合をしてるんだったら、応援しなくちゃって思って、96年11月から突然コンササポになりました。そして当時担当していたラジオ番組の中で私はコンサドーレを応援するって宣言もしまして有言実行です。
とはいえ、こんなにどっぷりはまることになるとは思ってませんでしたが。(^^;

つまり一般の人にとっては、コンサドーレの選手ってどんな人がいるのかっていうのもわからなかった状況です。
ペレイラが何度か通っていたあるお寿司やさんの大将は、ブラジル人だっていうもんだから、近所の工場職員かと思っていたって(ブラジル人が多かったらしい)。一緒に行った村田さんも工場職員だと思ったらしい。
ちなみに村田さんがよく通っていたおそばやさんも村田さんがベンツに乗ってジャージ姿で来るから借金取り立ての仕事をしている人かと思っていたらしいんですが、白い恋人のCMで忍者姿の借金取り立ての人を発見して、サッカー選手だったんだぁ~とビックリしたようです。苦笑
勝手に職業を想像しちゃっているのって楽しいですよね。私もまだ比較的見学者の少なかった97年の練習見学はみっちりしてましたから、選手たちにはかなりあやしまれていたに違いないんですよ。。。

ペレイラとの想い出で一番印象的だったのが室蘭に行くときの高速道路。
私は北広島から乗ったのですが、ちょうど偶然にも後ろからペレイラらしき車が走ってまして、抜かすような形で私の前に。前に出てからは、比較的ゆっくり運転だったので、このままずっと一緒に走っているのって、私が追いかけているように思われてもって思って、追い越したところ、また追い越して私の前にやってくるではありませんか。しかも追い越した後はまたゆっくりな運転。そんなことを2度繰り返した後にペレイラは猛スピードで去っていきました。
つまりペレイラに遊ばれたんですよ。こんな形で遊ばれるとは思ってもみませんでしたが今となってはいい想い出です。

98年のビリ決定戦(あえてこんな表現でスミマセン)の最後の最後にペレイラが登場しましたが、神戸戦やアウェイの福岡でも出てもらいたかった。。。
石井肇さんのこと嫌いじゃないし、むしろ好きなんですけど、あのビリ決定戦の時の選手起用も含めた采配だけは納得できないんです。いろんなプレッシャーがあったとは思うんですが、どうせ落ちるんだったら、一緒に戦って落ちたかった選手が何人もいました。まあ、それもこれも過去のたられば話ですけどね。


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