2006年08月09日
田渕さんのことは、朝書いたんですけどアップされていなかったようで。。。
やはりこのブログ使い慣れないもんですから、送信失敗してました(^^;
私の仕事なんですが幸か不幸か97年と98年の夏は週休5日制だったもんですから、この2年間は、練習見学にみっちり行っていたということもありまして、選手にたいする思い入れも強いですし、JFLからJ昇格&J2降格を味わったっていう激動の2年だったので、選手に対しても戦友というか一方的に仲間意識を持ってしまってます。
ですんで、コンサの2番といえば、田渕龍二さんっていうイメージも強いんです。
私は、リュウさんと呼んでおりましたが、タブリュウって呼んでいらっしゃる方もいました。私にとっては右がリュウさん、左が村田さんっていうのが理想の戦いっぷりでした。
現在、自動車教習所の先生をなさっていらっしゃるということですが、練習見学に行くときって、選手も目的地も一緒ですから道で会うことってよくあったもんですから、室蘭の高速道路でリュウさんと出くわしたことがあるなぁっていう想い出がよみがえるんですよ。
コンサの最初の練習場所は栗山だったし、99年は鵡川とか日帰りで室蘭で練習っていう時もありました。選手バスも無かったですから、選手たちが自家用車で毎日移動してましたし、大変だったと思います。
リュウさんは、オーラスイッチを点灯、消灯出来る方で、練習後も気がつけばすでに帰ってしまっているっていうことが多々ありましたし、ラーメンやさんとかに行ったときには、完全消灯して、一般の方となじんでわからなかったりっていうこともあったそうな。
リュウさんの笑顔で癒されるというか、いてくれるだけで安心できる人ってそうそういないと思うんですが、リュウさんはそのタイプ。物静かなイメージですが、話しかけるとちゃんと答えてくださるし、すごくいい人。
石屋製菓さんのよそこいイベントでゲストでいらっしゃったときも、他の2選手(あえて名前は書きません)がなんとなく冷たかったもんですから、リュウさんがいてくれた本当に良かった~と心から思ったのでした。
多分、教習所でも口うるさくなくやさしく素敵な教官なんだろうなぁと思います。(^^)
選手たちが有珠山噴火の義援金を街頭で呼びかけるイベントの時には、リュウさんのグループがあまりにも静かだったので、思わずおせっかいにも呼びかけの手伝いをしたりもしまして、うるさい奴だと思ったに違いありませんが(^^;
手伝わずにいられないほど物静かだったわけで(^^;;;
それなのに戦いっぷりでは、頼りになりましたし、ピッチでの存在スイッチのオンオフもうまかったなぁとつくづく思います。
一緒に昇格して一緒に落ちた戦友的存在の選手で、すごく貢献してくださった選手ですから、感謝の気持ちでいっぱいです。
リュウさんに会いたいなぁ~
私が当時つづった「97年の選手たち」より~
田渕龍二
タイトル:右サイドは龍さん
右のサイドには龍さんがいる。監督にも代表選手になれるくらいに素晴らしいと評価される田渕さん。そんな田渕さんのことを綴ってみました。
[小さい足の龍さん]
夏に田渕さんと太田さんが歩行者天国になっている丸井今井の前でイベントに参加したのですが、その時に、クイズで出された問題の中で田渕さんの足のサイズがわかったのですけど、足のサイズが25センチだということなのです。男の人の中では小さいほうだとビックリしました。靴といえば、試合中に田渕さんったら靴が脱げちゃったことがあったような・・・。
ちなみにこのイベントですが、田渕さんも太田さんも恥ずかしがりやなのか大人しいだけなのか、マイクを1本ずつ持たされているにも関わらず、田渕さんったら、マイクを使わずに話してました。しかも、2人ともだんだんと後ろにさがっていったりと消極的でなんだか可愛らしい2人でした。
[ムコ養子のサッカー選手]
田渕龍二という選手は97年から誕生した選手である。大塚にいた時は、田渕さんは花垣龍二だったのです。結婚してムコ養子になって田渕龍二と名前が変わっていたようですが、大塚時代は名前を変えずに花垣龍二のままで試合に出ていたそうです。変なたとえしか浮かばないのですが、まるで結婚しても旧姓ままで仕事をするような芸能人みたいだった龍さんですが、コンサドーレ札幌に移籍したのをきっかけに田渕で登場したようです。
なかなか今の世の中で嫁さんの姓になるという人が少ないのに龍さんは、サッカー選手なのに苗字を変えちゃうというのがとても新鮮な私です。これを知って、いい人に違いないと思ったのでした。
[かわいいサイン]
龍さんのサインは、とってもかわいいです。Ryuと背番号の2を書いているのですが、「Ryu2」になるので、かわいいうえに誰が見てもわかるサインです。一番かわいいサインだと思いますよ。
[ナンバーワン]
龍さんは、JFLの公式試合の中では、最多試合フルタイム出場選手です。警告累積のために出られなかった、第9節の東京ガス戦の1試合をのぞく29試合に出場して、なおかつフルタイム出場をしました。もうひとり、デリーバルデスも29試合でフルタイム出場をしています。最多出場時間という項目にしてしまうと、田渕さんが出られなかった東京ガス戦が唯一のPK戦までいった試合な為、残念ながら2位になってしまいます。田渕さんは、右サイドの担当ですが、左も出来るので、97年では札幌大学とのチャリティーサッカーで途中から左サイドを担当したこともありました。
ちょっと残念だったのが、腰痛をもっているらしく、10月のナビスコ杯は2試合とも出場できかったということ。でも、この2試合に出られなかったけど昇格決定試合にはちゃんと出場したのでなによりです。
龍さんは、今季Jリーガーとして戦う初めての年。今年もベストメンバーの一員として活躍して欲しいと思います。
のっち
Re:田渕龍二さん
2006-08-10 06:09
コメントありがとうございました。懐かしい人達が出て来て、ウルウルしてしまう素敵なブログですね。僕の中でも、右は田渕選手しかいません。でも、最近は、藤田くんと言う選手がいます。将来の代表候補ですよ!!
プロフィール
96年シーズンオフからコンサ応援を始めました。 97年シーズンから練習見学などもしてコンササポ生活を送り、それまでの貯金を使いまくってアウェイ遠征もしていたら、あっという間にコンサドーレ貧乏に。
最新のエントリー
コメント
検索