2006年08月08日
コンサにいた選手の想い出ですが、一番最初は誰にしようかと思ったのですが、自分のホームページの中に97年の選手たちっていうページを作ったものの、中途半端に終了してしまっていたので、順番につづってみようかなって思いました。ということで、トップバッターは、ディドさんで。
ディドさんは、現在 横浜FマリノスのGKコーチ。
つい先日というべきか、キロロであったマリノスとコンサの練習試合を見てきまして、久しぶりにディドさんの姿を見ることが出来ました。
お姿も日本語もあまり変わっていないディドさん。(^^)
(マイクくんは本当に大きくなっていたのでビックリですが)
コメントもらってラジオでも流したのですが、S級ライセンスをとったので、将来はコンサの監督になりたいって。そしてコンサのサポーターに関してもどこの試合でもたくさんのサポーターが来ていて素晴らしいって。ありがたいコメントをいただきました。
ディドさんがいなくなったら、偶然なのか千歳からオランダの直行便もなくなってしまって、今現在、イタリアに行ってみたいのに北海道からはヨーロッパ行きにくいんですけど。。。ディドさんが札幌に帰ってきたらKLMも再び就航っていうことはあるのかな???
コンサの初期の場合、コンサで現役引退っていう選手が多かったわけで。
ディドさんもそのひとり。このままゴールキーパーコーチとして札幌にいてくれたけど、岡田さんが連れて行っちゃったっていうイメージが強いんですよね。当時、ディドさんは仕方が無いけど、マイクは連れて行かないで~って言っていた人もいましたよね。マイクくんはコンサユースでも活躍してましたし、そういえばマイクくんはキロロで西大伍くんと握手して再会をわかちあってましたわ。
コンサからはいなくなったとはいえ、これからも気になる人物です。
私が97年シーズン終わりにつづった[97年の選手たち」より~
ハーフナー・ディド
タイトル:まじめだけどお茶目なディドさん
ディドさんは、とても真面目な人です。必ずといっていいほど、ディドさんは一番最初に練習場に姿を現して、帰りも遅くまでいる人です。ひとり黙々と走り込みをして腕立てをして、自分のコンディションを整えています。そんなディドさんにまつわるエピソードを何点か思い浮かぶものを書き綴ってみたいと思います。
[お茶目なエピソード]
顔に似合わず、お茶目なことをしてくれます。私が見ているだけでもかずかずのお茶目ぶりを見れました。
厚別競技場で試合前日に練習をした時の出来事ですが、ディドさんは、一番乗り。ピッチの様子を確かめた後に、テレビで試合中継用のマイクなどが競技場のトラック部分に置かれていたのですが、そのマイクを持って「あああ~」と声をだして、マイクの様子も確かめていました。
マイクといえば、全然関係ない話ですが、ディドさんの息子のマイクくんは、よく練習場に一緒に来ていました。やっぱり、サッカーをやるようで、お父さんのストレッチを手伝ったりもとていました。でも、マイクくんはゴールキーパーではないらしい。
栗山の練習場に1台の公衆電話があります。練習が終わって、選手たちが上がってきていた時に、電話が鳴りました。しかし、近くには管理の方がいません。すると、ディドさんが走っていって、電話に出たのでした。「もしもし」「はい、え?わからないね」ガチャン。・・・いいのだろうかと思う瞬間でした。しかし、ディドさんがこの公衆電話に出る姿は、何度か見ております。
さらに電話のエピソードとして私が思い出に残っているのは、私の携帯電話がなった時、「もしもし」とでたところ、私の後ろで、「もしもし」という声。ディドさんが私の「もしもし」という声を聞いて、「もしもし」とふざけていっているのでした。多分、ディドさんは、電話が好きなのでしょうね。
お茶目というか、照れ屋さんのディドさんの姿も見ることができました。それは、ディドさんの誕生日の日の出来事。ディドさんのことを愛する団体「ディド団」のみなさんが栗山の練習場へやってきてました。それで、ディドさんへプレゼントとともにハッピーバースデーの歌を歌っていたのですが、その時に、ディドさんは、「はずかしい・はずかしい」といいながら、手で顔を覆って喜んでいました。とっても、キュートなディドさんを見ることが出来ました。
ディドさんのお茶目な行動で一番笑えたのは、パイロン(コーンと呼ぶ人もいる、あの工事現場などにある三角帽子みたいなやつ)を使っていきなり、「おーい、みんな~」と選手たちに声をかけたことです。つまり、メガホン代わりにパイロンを使ったのでした。まるで、一発ギャグ状態のディドさんの行動に度肝を抜かれて笑ってしまいました。さすが、ディドさん、もと外国人。ユーモアたっぷりです。
[感動をありがとう]
ディドさんの試合っぷりで、私は何度泣いたことか。他の人もディドさんに泣かされている人は多いはずです。
何度見ても涙が出てくる試合といえば、5.25の川崎フロンターレ戦。私は、まだサッカーの試合を何試合も見ていない人間でした。コンサの試合を生で見て、たった2試合目であんな素晴らしい試合を見てしまったのです。負けているコンサ。はっきり言ってもう駄目だ。負けちゃうって思っていました。しかし、ディドさんが上がってきた。試合は、終了のホイッスルが鳴るまでは、終わっていないということをディドさんのプレーで思い知らされました。
私は、ディドさんが、上がってくる試合は、この川崎フロンターレ戦のほかに2試合見ています。8.28ヴァンフォーレ甲府戦と11.14天皇杯3回戦:ジェフ市原戦。この2つの試合では、ディドさんが上がりましたが、負けてしまった試合です。しかし、私が見たディドさんが最後に上がる3試合の中で、ディドさんが上がっただけで涙が出たのは、ジェフ戦。ジェフに負けたら、今期のコンサドーレの試合が終了してしまうということもあって、余計に涙が出てしまったというのもあるのですが、ディドさんがシュートをしたというのは、残念ながら得点にはならなかったけど、より一層の感動を与えてくれました。
ディドさんに感動をもらったのは、この上がるという試合だけではありません。8.31のブランメル仙台戦。冨樫さんの頭との接触で骨折したのにも関わらず、ディドさんは、冨樫さんと接触したあと、すぐ一度立ち上がって、ゴールマウスの様子を確認して、入っていないとわかった後に倒れたのでした。私は、この試合をメインスタンドの限りなくゴールに近いA席で見ていたのですが、接触の時にペチンという高音の鈍い音が聞こえたのでした。それなのに、ディドさんは、試合にそのまま出て、後半の途中に交代するというガッツのある試合をしたのでした。鼻血も出ていたようで、つっぺをしたまま、顔が腫れているまま試合を続けたのです。交代していくディドさんを追うように監督がベンチから試合そっちのけで走っていったというシーンも感動しました。翌日の新聞を見たら、ディドさんを抱きかかえている監督の姿。頬骨の骨折だったということで、ディドさんの闘志を思い出すたびに涙が出ちゃいます。
さらに、今季絶望とまで書かれていたのにも関わらず、ディドさんは、骨折から1ヶ月も経たない9.28の釧路でやった鳥栖戦で復活したのでした。練習で、フェイスガードをつけて練習するというのも、数回だけで、その後は、なにもガードを付けずに練習をしていました。ほとんど怪物としか思えないほどの回復ぶりは、信じられませんでした。やっぱり、ディドさんってすごい人です。
[ちょっと脱線]
KLMオランダ航空が11月にオランダ-千歳という直行便を就航することになったのです。それを記念して千歳空港でオランダフェアというのをやっていたのですが、その中にディドさんのパネルとコメントを発見しました。ディドさんは、オランダ出身ということもあって、コメントがあったのですが、全文メモしてきました。御参照してくださいませ。
コンサドーレ札幌のキーパー、ハーフナー・ディド選手(オランダ選手で現在は日本に帰化)に聞く
KLMオランダ航空就航おめでとうございます。オランダの気候は札幌と似ていると思います。特に4・5月の風車にマッチしたチューリップの満開風景、夏のマリンスポーツ、冬の楽しいホワイトクリスマスなど四季折々の楽しみがあります。海に面しているので、シーフードも豊富でゴーダチーズやエダムチーズがとてもおいしいです。スポーツはもちろんサッカーが人気で週末ではあちこちで大会が開かれます。
今回の直行便の就航で故郷オランダへの所用時間が短縮されるだけでなく、四方八方に広がる路線網でヨーロッパ各地へも気軽に行くことができ、便利になると思います。
以上のコメントと一緒に試合中のディドさんの写真が2枚とJリーグの試合球(使用されたもの)が飾られていました。
[ナンバーワン]
ディドさんが、コンサのなかで一番だと思えることは、背番号!(くだらないこと書いてごめんなさい)そうではなくて、やはり、私にとってディドさんは一番プロ意識のある人だと思っています。練習も一番乗りだし、ファンサービスもめいいっぱいしてくださいますし、練習でランニングする時は、必ずいつも先頭を走っています。
そんなディドさんが、一度だけ練習に遅れてきたことがあります。遅れてきて、練習もほとんどしないディドさんを見たのは初めてでした。そしたら、なんと病院に検査に行っていたというではありませんか!!腸にポリープができているということだったのです。オフになったら、手術をするということでしたから、もしかしたら、今、病院にいるのかもしれません。オフでゆっくりと治してもらって、再びJで頑張って私たちを感動の渦で泣かせてもらいたいものです。
プロフィール
96年シーズンオフからコンサ応援を始めました。 97年シーズンから練習見学などもしてコンササポ生活を送り、それまでの貯金を使いまくってアウェイ遠征もしていたら、あっという間にコンサドーレ貧乏に。
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