2006年06月27日
をぉ~っ、J's GAOL 第24節ベストイレブンに、オラが街のクラブから4人も。当然我らがカガケンも名を連ねております。もう少しでMVPかぁ、惜しい。ん?どちらさんでしたっけ?このMVPの顔写真は? さて、先週の金曜日は、私の会社が所属する業界団体の馴れ合い寄り合いがあり、久々に札幌の街へ。いえね、決してエントリーをサボった言い訳を書こうと思ったのではないのですよ。(´・ω・`) せっかく北海道中の同業者が集まるのだからという事で、監督官庁にお願いして関係法令の勉強会もついでに催されます。講師はいつもの様に、道庁のとある課の主査様。通常は企業に立入査察(ガサ入れ)をされる方です。 もうずーっと前になりますが、道庁へ年始のご挨拶へ伺った際に、我らが愛すべきコンサドーレをコケにされて、怒り狂った経験をエントリーした事がありました。コケにした本人ではありませんが、今回のこの方も、その中にいらっしゃったのです。最近、miyanosawa_doleは、もしかしたらいい人なんじゃないか?と書いて下さる方がおりますが、そんなことはありません! 受けた屈辱は決して忘れない、執念深い悪魔なオヤジなんです。<`~´>ふっふっふ さて、先日のアウェー仙台戦に伺ったときの事、赤いタスキを握りしめ、今まさに戦闘開始という時に、見覚えのある方が私のいた近くの通路を上がってきました。「ん?あっ、あれぇ?、道庁の○○さん、なんでこんなところにいるの???」と愕然としましたが、ちょうど選手たちへのコールが始まり、「きっと何かのまちがい、人違いだ。集中、集中!」とみずからを強引に納得させて、その場は終わりました。 でも、どう考えてもご本人。やはりユアスタで姿を見かけた事が気になっておりましたので、勉強会が終わった後に、このお役人様をとっ捕まえて恐る恐る聞いてみました。。。
私:「あのぉ~、、、もしかして先週仙台にいらっしゃいました?」 役:『(;゚o゚)えっ?』 私:「ユアテックスタジアムでお見かけしたような気がしたモノですから。」 役:『はっ、はい、確かにおりました。(~~;)』 私:「やっぱ、そうっスか?、えっ、よく行かれるんっスか?」 急に言葉が変わり始める私。 ちなみに加賀サポの間では、「○○っス!」は立派な敬語として扱われます。 役:『今年はアウェーばかりなんですけど。。。変わってるでしょ私?』 私:「えっ?(札幌に住んでいてアウェー専門なの?、結構熱烈かも?)」 役:『加賀屋(仮名)さんは、どのくらい行かれてるんですか?』 私:「今年は明日(緑戦)で、10回目っスね。」 役:『気合い入ってますねー。』 私;「いやー、それほどでも。(あなた程じゃないかもよ。)」 役;『そういえば、泊まったホテルで朝食の時に柳下監督をお見かけしましたよー。(*^^*)』 私:「(なにお?( ` ´ ))私なんか帰りは選手と同じ飛行機でしたよー。」 こんなところでも、存分に負けずを嫌いを発揮する大人げない私。 役:『コンサ調子よくなってきましたね?』 私:「そうっすね。明日は厚別行かれます?」 役:『それが、仙台遠征の時に犬を預けたら、病気になってしまいまして。』 私:「あらら、それは大変。」 役:『うちの家内は行くんですが、私は犬と一緒にテレビ観戦です。(´・ω・`)』 私:「そうですかぁ?、今度スタで見かけたら、お声を掛けて下さいね。」 役:『はい、がんばりましょうね。』 私;「おぉっ!(`・ω・´)ノシ」 でも、あちらさんは企業を監視・指導する立場。コンサドーレの話で盛り上がる時には、コソっと二人だけの時にしましょうね。(^^;) これを読んで下さっているアナタにも、近しい人の中に、意外なコンササポがいるかも知れませんよ。
2006年05月09日
昨日もオフで、新聞にもコレといった情報はありません。唯一、大伍が幼稚園児と戯れているほのぼのとした写真ぐらいでしょうか? そんな訳で、今日も思い出話から強引にコンサの話に結びつけようと思います。 私には、今の会社に入社以来お世話になっている先輩がおります。 思い起こせば、右も左も解らない入社したての私の面倒を、とってもよく見てくれたのでした。歳はひとつしか違わない彼は、会社の事を何でも知っている歩く百科事典のような人です。 もちろん、仕事だけではなくアフターファイブだってばっちりです。会社の飲み会などがあっても、まだ馴染めていないとっても内気な、ひとりぽっちでポツンっと立っている私の元へ来てくれて、私のもみじのような小さな手を、グローブのような大きな手で引っ張り、次へ次へと連れて歩いてくれたのでした。 たとえ、彼の結婚式の余興で強制的に歌を歌わされようが、遅くまで残業の私を一人残して先に帰ってしまおうが、私は彼を恨んだことなど一度もありませんでした(たぶん(´-ω-`))。 しかし、そんな幸せの絶頂の二人に、悲しい出来事は、突然に襲いかかったのです。 今からもう10年ほど前に、会社での大幅な組織再編成のため、我々の部署の空中分解が決まり、彼と離れ離れとなることが言い渡された時、私はしばらくの間、枕を涙で濡らしたものです。 当時こんな私たち二人を、他の人たちは『南極物語』に例えてました。冷酷な上司の無理な命令、そして苛酷な条件環境のもと、タロ(彼)とジロ(私)は2頭で、吹雪の雪原を突っ走るが如く、けなげに頑張ってソリを引いていると。そう、あの頃は「このソリを引いて空だって飛べるさ。( ・∀・)」と信じていました。 世の中、不幸は続くものです。 挙げ句の果てに、上司は勝手に退職してしまい、我らは南極に置いてけぼり状態を喰らったようなものです。その後は人間不信に陥り、やってられっかーっ!と鎖をかみ切って、オオカミに変身した2頭です。 そして時は流れ、2004年。
既にコンササポであった私は、彼に「コンサ見に行くならいつでもチケット用意するから言って。」と伝えてありました。ご子息2名がサッカーをしていることもあり、彼の家族は少しでも子どもらのプレーの参考になるならと、コンサを観戦することになりました。 そう、あの1年間に44試合もありながら5勝しかできなかった、あの年です。(´・ω・`) 勝ち試合をご覧になった方は、その年の運を全て使い果たすんじゃないかと思ったぐらい、勝てなかった年です。当然、彼が観戦に行った試合もいいところ無くボロ負けしました。 その週明け、会社で開口一番『もう、いいっ!!しばらくは腹一杯。』と辛らつな言葉をおみやげに持ってきてくれました。ちっくしょー!。でも、今に見ていろっ。と心の中で叫ぶ私。 そして今年の開幕前、『今年は昇格すっからっ!』と告げると、一昨年のイメージが強烈に残っている彼は「何トチ狂ってるんだコイツ?」というような目で私を見ています。もう既に、一昔前のタロ&ジロの友情なんてどこかへ吹っ飛んじゃってます。 こんな彼を来週17日鳥栖戦の札幌ドームに、引っ張って行くことにしました。 強いコンサを見せてやる!、よぉ~く見ておけっ!! でも、ゴールデンウィーク中の結果で、ちょっと弱気になっている私だったりします。(;・∀・)
2006年04月30日
今日は、りょうぼ様が書かれていたエントリーにお題を頂戴致しました。 コンサに関係のない思い出話になってしまいますが、よろしければおつきあい下さいませ。^^ 10年前、私は何をしていたろう? しばらくの間考えてみる。。。確か、すでに結婚はしてた。わたし何してたっけ?(・・?) そういえば、大きな出来事が2つあった時でした。 まずは、仕事面で一つ。 はじめて大きな仕事を任された。というか自分で勝手に手をつけてドツボにハマってしまった頃です。 当時、自分の上司と折り合いが悪く、ロクに口も聞かない日が続いていた懐かしきあの頃。(^^ゞテヘッ その上司は、お尻に火が付かないと能力を発揮しない、どこかのチームのFWみたいな人でした(会社内では今のビールさんぐらい頼りにされていた人ですけど)。ギリギリになってから、死ねってか?というような指示をする方でしたので、部下の我々は徹夜なんて日常茶飯事でした。 その時も目の前に大きな仕事が迫っており、何の指示もありません。「どーせやるんでしょ?、云われる前に出来るとこだけ先にやっておこう(自分の所はやっておいたから、おアトよろしくーっ)。」ぐらいノリでした。しかし、その書類(行政に提出する申請書)を上司に渡し、「自分で何とかなるところはやっておきましたんで、それじゃ!」と元気良く告げると。その上司はブ厚い資料をはらはらとめくり数十秒ながめたかと思うと、赤鉛筆で威勢良く線を引いて何か書き込んでいます。 書類の表紙にある担当者の氏名を、私の名前に書き直しています。そして一言「全然使いモノにならないから、やり直して。」とほざいてます。中身がダメダメなのはまだ分かるとしても、こんな重い仕事、俺に出来る訳ねぇ~だろ?と愕然としましたが、そこは数ヶ月も会話の無いほど関係が悪化している間柄。私も素直に白旗を挙げる訳には行きません。無言で突っ返された書類を受け取りました。 みてろよっ、このぉ~っ!、やってやるよ、お前より鮮やかになっ! と心の中で叫ぶ、鼻っ柱だけは強いワタシ。( ゜д゜)、ペッ
その頃、「この仕事は、1ヶ月たりとも遅れる事はまかりならんっ!」とグループ会社のお偉いさんが暴れだし、急遽関係会社の会議が持たれる事になりました。ウチの会社からは私の上司に出頭命令がかかっています。 心の中で「ざ・ま・あっ。」と思っていた私の表情を見ていたのか、私の上司から出てきた言葉は「俺、行かねぇ~から。代わりにアンタが行く事にしておいたから。」と、ぶったまげる発言。 おいっ、てめぇ可愛い自分の部下(?)を人柱にして逃げんのか? と、喉まで上がってきた言葉をグッと飲み込み、絶対にギプアップなんてしてたまるか!という思いだけが私を支えています。しかしその会議に出て「あぁ~。あん時、弱音はいときゃヨカッタ。」と後悔しました。 会議に出席した顔ぶれは、グループ会社の社長を含む役員さまが数名と他もほぼ全員部長さま。平社員は見事に私だけです。 当然のごとく、私は集中砲火を浴びます。会議なんてものではありません、それぞれが自分の立場を守るために好き勝手な強引な意見を口々に叫んでいます。防戦一方だったこの時、私の中で何かが弾ける音がしました。気持ちで負けてたまるか!! 深呼吸を一回して、一人ずつに丁寧にガンをくれてやり、口を開きました。 これ私の仕事ですから、私の思うようにやらせて貰いますから。 吐き捨てるように云った私のこのセリフは、会議の空気をぶち壊し、生意気な若造を印象づけるには思いの外、効果があったようです。 その後、いくつもの山を越えて(長くなりすぎるので省略します。(^^;)なんとか、その製品が世の中に出る事になりましたが、全然売れてません。この時のじじぃどもの呪いでしょうか? 10年前のこの頃に比べると、私も少しだけ人間は丸くなったかな?と思ってます。 そして、2つめ。 こんな私を見かねて、神様がご褒美をくれたのでしょうか?、ちょうど10年前のゴールデンウィークの最中に、「コウノトリさんが来るよ。」との知らせが舞い込んだのでした。
2006年03月14日
さて、今日もこれといったコンサネタありません。(´・ω・`) まもなくフッキの出場停止試合数が決まるくらいでしょうか? 卒業、就職、転勤など春と言えば出会いと別れの季節ですね。というわけで、またまた雑談。 私が入社したての頃、世の中は競馬ブームでした。一通り世の中の流れに乗らないと気の済まない私も、つられて馬券などを買うようになります。 入社したてと言えば、それこそ馬車馬のようにコキ使われる時期。ヒーヒー言いながら夜中まで働いておりました。その時のパートナーは、自分の上司ではなく隣の係長さん。物静かな方で、決して声を荒げることなく黙々と仕事をされる部下思いの方でした。 こんな時にその係長さん、私の元にノソノソやって来てこうつぶやきました。『悪いけど明日休むから。』 血気盛んな若かりし私も黙ってはおりません。「このくそ忙しいのに休むんですかぁ~?(語尾上がる)」 理由を問いただすと、その答えに私の血管がまた音を立てます。『ん、競馬場行くの。』 「・・・・(おひ、この期に及んで競馬場だぁ? ざけんなよっ)。」と黙っていると、その係長さんが冷静な声で続けます。『次の重賞レースにウチの馬が出るんだわ。』 (/--)/あらん?、今週末は日本ダービーよ? 恐る恐る聞いてみる。「あのぉ~、参考までにお馬ちゃんのお名前は?」 『アイネスフウジンっていうんだわ。』この瞬間に私の腰は抜けました。実家は牧場だって聞いてたから係長さんの風貌から、牛でも飼ってんだろうな?と勝手に想像していた私の心臓は破裂しそうになります。 そしてレース当日。 競馬ブームの火付け役となった2人の若手騎手、横山典弘が駆るメジロライアンが1番人気。若き天才武豊が乗るハクタイセイが2番人気。そしてさえないおっちゃんの中野栄司を背に、アイネスフウジンが3番人気。 それまで逃げ馬は絶対に勝てないと言われたダービで、追いすがる武豊を振り切りレコードでの勝利。今では当たり前となった競馬場でのコールも、この時に自然発生で起こったものが最初でした。 その係長さんは、数年前に会社を辞めてその牧場を継いでいます。送別会の時に「絶対にG1取るから、応援してね。」と言われた言葉を春になると想い出す私です。 私に色々と仕事を仕込んでくれた係長さん、元気かな? 馬にナメられてないか?(´-ω-`)
2006年03月01日
いよいよ3月に入り、寝ても覚めてもコンサドーレが気になる私。 今日は少々お寝坊で、ゆっくりと新聞を読む時間がありませんでしたが、コンサの記事を探すと、、、 主力組のDFは左から和波、曽田、加賀。主力組は鹿屋体育大戦に向けた構成だが、開幕戦の鳥栖戦もこのメンバーがベースになりそうだ。 って、どっかぁ~ん。ヘ(^^ヘ)(ノ^^)ノヘ(^^ヘ)(ノ^^)ノエーイ、オドッテシマエ 一週間以上ぶりに見た「加賀」の活字。いやぁ~道新さんイイ記事書きます。さすがチームスポンサー。 お陰で一気にハイテンション。すがすがしい一日を迎えております。(我ながら単純だ) 今日の練習試合は撮影自粛要請が出てるとか、記事にはしてくれるんでしょうか? さて、試合は当たり前のように勝ったようですが、気になる布陣は? カガケンきっちりアピールよ。(`・ω・´)ノシ 今日の嬉しいニュースとは別に、昨日は少々考えさせられる機会がありました。
夕べはめずらしく午後6時前に帰宅完了。 まとわりついてくるチビを適当にあしらいながら、新聞のテレビ欄を眺めておりました。 すると夕方のニュースで、瀬棚町の医療&医師について特集が組まれておりました。 「えっ?瀬棚町の医師って?あの人か?」 この村上医師(当時の愛称:ピーちゃん)、私と同じ大学の同じ講座の先輩です。 学生時代はよく可愛がってもらいました。この方、何を思ったか大学院を修了後、とある医科大学に入学し、お医者になったのでした。 医大への進学が決まった時に『いくらなんでもこれ以上親には負担かけられないからな。各学年で成績が1番だったら学費免除になるみたいだから、頑張るわ。お前もがんばれ。』とかけてくれた言葉を思い出します。その後、宣言通り6年間主席を通し卒業したようです。 特集の内容ですが、予防医療をメインに考えかさばる医療費を削減し、ピーちゃん始めスタッフの頑張りで実績を上げてきたんだとか。全国的にもモデルケースとして注目されているのだそうです。ただ、今般の市町村合併により医療にかけられる財政が厳しく、ピーちゃんはこの3月で病院を去るとの事。 診察中のおばあちゃんが「先生がいなくなったら、わしゃ~どこへ行けばいいのさ?」と泣いている姿が写しだれていたのが印象的でした。 ピーちゃんに残って貰おうと瀬棚地区のみなさんが集めた署名、人口2700人に対して4000名以上。その署名を持って、小さなお子さんを持つ若いお母さん方が、町長に直談判へ行きますが、取り付く島もなく。。。 態度悪いぞ、町長!ヽ(`Д´)ノウアアン 瀬棚町、うちのお父ちゃんの故郷なので案外他人事ではありません。 住民の医療とか健康って、行政が一番最初に考える事だと思う私は間違っているでしょうか?(´・ω・`) なんだか柄にも話をしてしまいました、すいません。
プロフィール
miyanosawa_dole(別名:運河) 【住居】:札幌市 【性別】:♂ 【仕事】:札幌近郊のとある企業に騙されるように就職、現在に至る。 【性格】:激情型 【趣味】:「サッカー行かない?」と職場の人間(主に女の子)に声をかける事。 【評価】:部下・後輩からの評価は、概ね「鬼」「悪魔」「人でなし」「ろくでなし」のどれか。これらは私にとって誉め言葉以外の何ものでもない。 【応援】:加賀選手を愛している。
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