水戸戦のこと。これからのこと。そして過去のこと。

2005年11月06日

コンサドーレ札幌1-1水戸ホーリーホック

試合のことについては多くは語りません。つーか見てないし。見てないなりにコメントしたものは本宅で書いたし。

とりあえず、確かに、より厳しくなったかもしれないよ?でもさ、0じゃないのにネガってどうするの?諦めねーよ、まだまだ。

ってことで来週、私は福岡に行ってきますよ。



さて、昨日の続き。

コンサドーレのサポーターになって、でも、もともと応援していたジュビロとの掛け持ちだった私。コンサドーレとの直接対決ではコンサドーレの方を応援しましたが、試合がかぶらないとき、特に関東に出てきてからは、レプリカユニとタオルマフラーを身に着けてジュビロの応援に行ったことも何度かありました。

まだホームサポーターだった1998年、ジュビロとのアウェイ戦はGWに組まれてしまい、私は短大に入学してバイトを始めたばかりでお金もなく、バイトも休めなかったので、泣く泣く磐田に行くのを諦めました。それだけに、秋に行われたホームでの対戦は待ち遠しかったし、個人的に気合も入っていました。でも、アウェイ戦に続いての大敗・・・これほどまでに力の差があるのか、と思うと、凄く悔しくて、大泣きしていた記憶があります。

というか、対ジュビロ戦は、泣くことが多いなぁ、って。

J2を2シーズン経験後、J1に昇格して2001年のアウェイでのジュビロ戦。勝利を目前にしながら、無駄に長くロスタイムを取られたこともあって追いつかれ、延長で逆転されてしまった試合。その試合でも泣いてました。あの大敗から、あとちょっとのところまで成長したんだ・・・でもそのちょっとの差が悔しい、って。

2002年のアウェイでのジュビロ戦では、逆に、また大敗。この時も泣きました。1年前はあとちょっとだって思っていたのに、また遠ざかってしまったんだってことが悔しくて。

確かそのときからだったと思います。ジュビロのレプリカユニとタオルマフラーを封印したのは。「コンサドーレのトップチームがジュビロに勝つまでは」、って。以降は、付き合いの長いジュビロサポーターの友達からジュビロ戦に誘われても一緒には行かなくなってしまい、その友達には申し訳ないけど・・・。

そして、2002年は、ご存知の通り、J2降格が決まった年です。2002年10月27日、カシマスタジアム。最後の悪あがき、って感じで、延長戦に持ち込んで力尽きたあの試合。私は泣かなかった。泣かなかったけど、強く思ったことがある。

「この先どんなことがあっても、私はこのチームについて行く」、ってこと。

今もその気持ちは全く変わらない。あんなに情けないことが多く起きたけど、全く。この先も、このチーム以上に応援するチームなんて、きっと現れないと思う。


長くなっちゃったんで、今日はこんな感じで。


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