2003年は嫌な年でした。

2005年11月28日

私にとって2003年は屈辱的な年でした。

まずはシーズン前から、なんと監督がジョアンカルロスに!
これは名古屋に生まれ住んでいる、
しかも名古屋サポに囲まれている人にとったら屈辱的です。
あんなに名古屋の監督のとき貶していたのに!
しかもあの時、フロントもサポもかなり過剰な期待をしていた。
私はその時点で昇格を諦めてしまいました。
そして、森山、西澤、三原を獲得。
将来は名古屋の墓場になるの?と言われる始末。

開幕してからは、
やはり、ジョアンカルロスの采配が駄目駄目。
頼みの外国人は駄目で、全員入れ替え。
しかもそこにウリダが。さらにプチ名古屋と言われる。
それでも勝てない。
2002年も監督や選手をとっかえひっかえしたのに、
まだ懲りていないフロント。
そして、案の定、監督解任!!
さらに前年に引き続き無駄金を使う。

あの時は結構予算使いましたよね?
しかし、成績は...
名古屋に住んでない人にはわからないかもしれないですが、
名古屋ではジョアンカルロスの采配はかなり疑問視されていて、
選手から文句が出て、監督が怒り、選手を解雇。
そして、長期政権かと思いきや、次の年に成績不振と選手とフロントの監督不振で解任。
セレッソに行ったが期待はずれ。
だったのです。

なので、私はほとんど応援してませんでした。
それほど名古屋の私には屈辱的だったのです。


しかし、来月の月刊コンサドーレが振り返るのは2003年。
しかも年末にくるのか。
屈辱的だ。ジョアンカルロスの写真が載らないことを祈っています。

そして、これを書いた理由が来年の補強の話をみんながブログに書いていて、この年は何も考えず、ただ、予算をかけただけの補強でした。
しかも日本人の補強は無鉄砲!なにもないに等しかった。
それの教訓を生かして欲しいのと、選手1人獲得してもあまり変わらないし、あの予算規模ではJ1に上がったときに物足りない選手しか獲得できないでしょう。
地域振興や地域貢献に使ったほうが有意義だと思いますよ。


post by atsu-25

21:36

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