幸運な英語テスト

2006年02月04日

受験シーズンの真っ最中ですね。あまり運のない私ですが、幸運に恵まれた話を。

現役で受験した大学に見事に門前払いされ、浪人することを選択しました。自宅でひとりで勉強することなんてできないので、札幌駅北口にできたばかりの代○木ゼミナールを選びました。当時は桑園駅近辺に老舗の予備校が2つあったのですが、交通の便の良い、こっちへ。

いま考えれば、これは最悪の選択でした、、、。



決して安くない一年分の受講料を振り込み、来春の桜を目指して、通い始めました。でも、まじめに通ったのは1ヶ月くらいでした。

悪友の悪魔のささやきに屈してしまいました。

「麻雀しに行こうよ!」

それから悪友との雀荘通いが始まりました。

いつもどおり家を出ます。隣のビルのゲームセンターに集合します。それからその地下の喫茶店でコーヒーを飲みながら、漫画を読み、雀荘が開く時間まで時間をつぶします。それから雀荘へ行き、勝負します。類は友を呼ぶので、雀荘にいた知らない人とも友達になりました。

こんな生活を11月ぐらいまで続けてしまい、12月から、我に返り、まじめに勉強を再開しました。しかし、こんな状況で身に付くわけもなく、2回目の共通一次試験(今のセンター試験)は、前年比100点アップ(目標は250点アップでしたが)にとどまりましたorz。こんな生活は、二度と御免なので、受験科目の多い大学は諦め、得意の数学があり、不得手の国語のない大学を候補にあげました。理系だったのですが理科は得意な方でないのでカットし、残るのは英語と社会です。受験科目の数学と社会の組合せの大学なんてないので、必然的に数学と英語。実は英語も得意ではありませんでした。この状況なので合格する自信なんてありませんでした。

でも背に腹は代えられないので、英語を中心に勉強しました。代○木ゼミナールで英語の直前講座で勉強しました。これはさすがにまじめに通いました。テキストを中心に何回も繰り返しました。

受験日当日、得意の数学は難なくクリアし、問題の英語です。問題用紙が配られました。試験が始まり、一通り問題に目を通しました。驚くべき幸運に見舞われました!

直前講座のテキストと同じ問題がありましたーーー\(^O^)/

この問題は全体の1/3程度です。合格ラインはある程度予測できていたので、この問題だけでも無難にこなせば、OKなので、ゆとりを持って、英語の試験に取りかかれました。

この幸運に見舞われ、無事合格したのでした。ありがとう、代○木ゼミナール。

受験生でこのblogを見てる人なんていないと思うけど、この悪いことは絶対にまねしないように。

それから、うちの親にも内緒と言うことで、、、。

コンサには全く関係のない駄文につき合って頂きありがとうございました。

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post by ついんずぱぱ

15:30

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藻岩山北斜面

2006年01月14日

中央区在住だった小学生/中学生の頃、家からロープウェーで藻岩山市民スキー場(今は、札幌藻岩山スキー場と言うらしい。)にしばしば行きました。家からロープウェー乗り場まで親に車で連れて行ってもらったり、歩いていったりで、そこから友達とロープウェーで上まで昇り、スキー場まで行きます。帰りは、ロープウェーで降りてきて、家までスキーで滑って帰ります。

中学生のころ、一緒に行った悪友にささやかれます。「帰りは、ロープウェーの下の北斜面をスキーで滑って帰ろう!」



ロープウェーの下の北斜面は、ご存じかどうか知りませんが、当然、ゲレンデはないので、整備されていません。しかし、行ってみるとスキーの後があります。強者は他にもいたようです。

木の間を注意しながら滑ります。かなり、斜面が急なところもあります。木に激突しそうになったこともありましたが、無事に下山しました。

この悪友はしょっちゅう滑っていたようです。私は、後にも先にもこの一回だけです。

学校からはよく注意を促されてました。

藻岩山の北斜面をスキーで滑るのは止めましょう。

でも、事故があったことを聞いたことはありませんでした。



post by ついんずぱぱ

22:42

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交通違反その3(最後)

2005年12月01日

就職してから2年目の夏ぐらいでしょうか?
借金をして新車を買いました。黒のカローラレビンです。「92」って奴です。
それに乗って、横浜から札幌まで無謀にも車で帰ることにしました。一人じゃ心許ないので、一年遅れで上京した大学時代の友人(あ、をとこです)を乗せて帰りました。出発したのは、確か夜の九時頃。青森には朝方につくように計画しました。友人は免許を持っているのですが、ペーパーですし、買ったばかりの車で、慣らし運転の最中なので、まだ運転させられません。で、東北道を一人で眠気に襲われながら運転してました。

でもここでは何も起きません。危なかったのは岩手を出て青森の途中までの記憶がないのです。おそらく居眠り運転していたものと思われます、、、。

でも、何事もなく、札幌まで帰り着きました。なんだかんだで24時間ぐらいかかってしまったでしょうか?

で、本題に入ります。(本題は短い)

夜に友人に会い、ひとしきり話をして、円山にある家まで送ることにしました。ここらへんでしょうか?

ちょっとアクセルを踏んだところ、バックミラーが赤くなりましたorz



またしても普通のパトカーに見事にパクられてしまいました。ここはたしか制限速度40km/hで、赤くなった瞬間のスピードメーターは記憶では80km/hぐらいだったかと思います。

その前の日だったでしょうか、別の友人に会いました。その友人は、田舎で白バイにスピード違反で捕まった(50km/h以上オーバーしていた、普通なら逮捕)が、拝み倒して、無罪放免にしてもらった、という、ことを聞いていました。(真実かどうかはさだかではありません。)

ぱ ぱ「(平身低頭)ごめんなさーい。」
マッポ「随分スピードでてたみたいだけど。ツインカムだけあって早いね。」
ぱ ぱ「え、まぁ。」
マッポ「これ、見て、30km/h以上オーバーしてるよね。」
ぱ ぱ「(ぎくっ)・・・・・」
ぱ ぱ「何とかなりませんか?(神妙になる)」
マッポ「あなた、2つ前の信号の手前で、車止めてたでしょ。それで発進するときに左ウインカー出してなかったでしょ。」
ぱ ぱ「はい。(確かにそうである)」
マッポ「じゃ、合図不履行(当時は別の名称だった気瓦斯)ということで。」

例により、その後の友人との会話はほとんどありませんでした、、、。

教訓その1
お巡りさんには敵対心を表してはいけない。もしかしたら、罰則をまけてくれるかもしれない。(本当か)

教訓その2
中央区でスピードを出してはいけない。(謎)



post by ついんずぱぱ

01:07

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交通違反その2

2005年11月27日

会社で上京してから、3年目くらいの夏でした。
夏の帰省時に昔の仲間で、道東へ行こうと言うことになりました。旭川経由で行き帰りは帯広経由で、苫小牧からフェリーに乗り仙台経由で帰る計画でした。カムイワッカの滝羅臼岳の知床半島周辺は天気が良く快晴でした。
あ、その前に摩周湖にも行った気がしますが、霧だったか、晴れだったかは覚えていません。

で、事件のことですが、帰りに襟裳岬を目指して、池田町だか忠類村だか近郊を走っていました。車は友達の初代のスープラで私が運転していました。北海道の地方の道路(特に道東の方)は、交通量も少なく、見通しも良いので、制限速度60km/hを越え、100km/hで走れてしまいます。しかも車はスープラです。ちんたら、走るわけにはいきません。

で、前のたらたら走る車を追い越しました。少し経ってからバックミラーを見ると赤くなっていました、、、。スピードメーターを見ると120km/hを指していました、、、、、、、、、、、、、、、、。



顔が青ざめました。パトカーに止められ、パトカーに乗り込みました。

マッポ「何で捕まったかわかる?」
ぱ ぱ「え、うーーん」
マッポ「ここは追い越し禁止、少し前に車を追い越したでしょう」
ぱ ぱ「(スピード違反ではない、ラッキー゚・*:.。..。.:*・゜ヽ( ´∀`)人(´∀` )ノ・゜゚・*:.。..。.:*)あ、はい」
マッポ「あと、ちょっとスピードも出ていたようだけど、注意して」
ぱ ぱ「・・・・・」

お縄にならなかっただけラッキーでしたが、そのあとのドライブは気まずいものでした、、、。罰金は割り勘ではなく、一人で払いました、、、。

教訓その1
北海道の田舎の道路では、パトカーが隠れているので、周りをよく見て運転しなければならない。

教訓その2
友人とドライブするときには、運転してはいけない。



post by ついんずぱぱ

20:11

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スピード違反を1日2回も

2005年11月17日

今日も昔の話をします。10年以上前の話です。(全然コンサに関係ないブログになりつつありますが、、、。)

東京への就職を目前に控えた3月頃のことです。道路には雪もなく天気の良い朝でした。

ここらへんでしたかね。

車でアルバイトへ行こうとしてました。アルバイトというのは、市内の書店で富○堂(まだあるのかな?)での教科書の仕分け作業でした。

で、目の前にいきなり警官が出てきました。「とまれ」の旗を持って。どうやら、ねずみ取りに引っかかってしまったようでしたorz

切符を切られ、傷心でバイトへ。バイトが終了してから、家庭教師に向かいました。家庭教師終了後、競馬仲間の友人宅へ。どうでも良いですが、あだなは、メガネをかけていたので、「ポンチ」でした。当日の朝の出来事などひとしきり、話をして帰路につきました。雪が降り始めていました。

途中で信号待ちをしていました。後ろには軽自動車。信号待ちの先頭でした。信号が青になり車を出しました。朝方に事件があったので、慎重に運転していました。しかし、後ろの車は軽自動車なのに煽ってきます。

うざいっ、と思ってちょっとスピード出しました。軽自動車は離れていきました。しかーし、バックミラーを見ると赤くなっていました、、、。



パトカーでしたorz

車を止めると、軽自動車も止められました。軽自動車の運転手は、注意され、すぐリリースされました。

マッポ「10km/hオーバーね」
ぱ ぱ「後ろの車に煽られていたんですけど」
マッポ「あぁ、注意しておいた」
ぱ ぱ「はぁ」
マッポ「前に違反をしたのはいつ?」
ぱ ぱ「今朝です」
マッポ「・・・・・・」

ほどなく。切符を渡され、再度帰路に。

さんざんな一日だった、、、、、、、、、。

教訓その1
複数の車が連なって、スピード違反の状態では、その先頭が捕まる。

教訓その2
暗い夜道での信号待ちで先頭になってはいけない。

交通違反で捕まったのは他に2回ありますが、それはまた別途、、、。



post by ついんずぱぱ

23:59

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マッチコミッショナー

2005年11月15日

ホームの試合でマッチコミッショナーとして、たびたび登場する人に私の高校の母校の体育の先生で、サッカー部の顧問だった人がいます。A先生と呼びます。

もう、時効だと思いますので、良い思い出として残します。(見た人は、あまり騒がないでねm(_ _)m)

ある日、学校をサボって、抜け出して、クラスメート4,5人で母校の野球を円山球場に応援に行きました。母校の野球部は、ここ10年ぐらいは全道大会の常連になっていますが、私がいた当時は、それは弱いものでした。地区大会で1回戦負けするのがほとんど。でも、毎回サボって見に行ってました。

サボるのもスリル満点で、体育の先生は、当時、職員室ではなく、玄関の横の体育教官室にいました。体育の先生は怖くて、特にこのA先生は、一番恐ろしい人でした。で、玄関を抜けるときは、体育教官室に人がいないのを確認してから、そろりそろりと抜け出します。

うまく抜け出し、地下鉄に乗って、円山公園から円山球場へ。つくと他にも同志がちらほら。学年が違う人も勿論います。

野球部にはクラスメートもいますので、元気に応援しました。
けど、負けてしまいました。傷心で帰ろうとしました。

なぜかA先生がいました、、、、、、、、、、、、、、、、。



会話はもう昔のことなので覚えていませんが、だいたい次の通り。

「おまいら、明日、体育教官室に○時間目終了後来ること。」

同行者にはサッカー部のB君とC君がいました。このため、この呼び出しをシカトできませんでした。

翌日、サボっていた奴は、ほぼ体育教官室に集合。気合いを入れられました。
その後、A先生は一人一人を自らのゲンコで10発、サボった奴のおでこをノックします。私もノックされました(痛)。次は、元野球部・元サッカー部の無節操なD君、そしてサッカー部のC君。ここでA先生の拳が流血していました。

次は、サッカー部なのにアフロヘアのB君、B君は背が高いのですが、アフロヘアなのでヘディングしない人です。(爆)

「お、Bか、拳から血が出ちゃったから、バットな。」

バットで10発おでこをなでられてました、、、、、、、、、、、、、、、。

古き良き時代の思い出です。



post by ついんずぱぱ

23:59

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