2006年12月12日
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今日の温度(JR札幌駅近くISHIYA温度計) J2札幌監督に前大宮・三浦氏が就任へ 札幌の来季監督就任が確実になった前大宮監督の三浦氏 コンサドーレ札幌の来季監督に、前大宮監督の三浦俊也氏(43)が就任することが10日、決定的になった。この日、三浦氏が札幌側から9日夜に正式オファーを受けたことを認め「(札幌の関係者と)お会いしたい」と、就任に前向きな発言をした。札幌は今季限りで退任となる柳下監督の後任について複数の候補をリストアップ、人選を進めていた。最終的にはJFL時代の仙台や水戸、大宮でJ1、J2ともに率いた経験がある三浦氏に一本化していた。 札幌が経験豊富な指揮官に、J1昇格を託す-。天皇杯で2年ぶりのベスト8を決めたその夜に、今季まで大宮の指揮を執っていた三浦氏に就任を要請した。磐田に敗れた大宮は、試合終了と同時に今季日程を終えた。直後のオファーは、札幌側の三浦氏への思いをいち早く伝えたかったためだ。 三浦氏は10日に埼玉県志木市のクラブハウスで大宮の解散式を終えた後、「(来季札幌の)監督になることを考えてくれませんかと(大宮の)強化部を通じて昨日の夜、電話があった」と札幌からの正式要請を認めた。「(札幌の担当者に)お会いしたい。まだまだ(監督を)やりたいよ」とも話し、就任には前向きだった。 障害はない。三浦氏は2日のリーグ戦終了後、今季限りでの大宮監督退任を正式に発表した。そのときは「まだやり遂げていないことがJにはある。現場が一番感動を与えてくれる」と他チーム指導に意欲を見せていた。札幌側は柳下監督が築き上げた3年間のベースにキチンと上積みできるよう、複数年契約を提示したもようだ。 三浦氏は大学の非常勤講師、教員を経て27歳から指導者を目指した苦労人。通算5シーズン指揮を執った大宮では、00年、01年とJ1昇格に失敗したが、請われて再び着任した04年に2位でJ1昇格を果たした。ドイツで指導理論を学び、コーチ時代に培ったオランダ流を織り交ぜた分析力、戦術眼には定評がある。札幌は今季、組織的な守備ができずJ1昇格を逃しているだけに、その手腕を期待されてのオファーだった。 JFL仙台(現J2仙台)のコーチ時代には、自身の退任が決定後に現場放棄したルス監督の代役としてクラブから“非常識なオファー”を受け、「事情は分かるから」と天皇杯限定で監督を務めるなど“おとこ気”もある。前途多難な札幌の立て直しには絶好の人物といえる。 ○三浦俊也(みうら・としや) ◆プロフィル 1963年(昭和38)7月16日、岩手県釜石市生まれ。家族は恵子夫人。血液型O。 ◆無名時代 甲子小4年でサッカーを始める。甲子中-釜石南高-駒大と進み、駒大では控え選手。卒業後は体育の教員免許取得のため1年間、岩手大に通った。岩手大の非常勤講師を経て松園養護学校に3年間勤務。 ◆ドイツ留学 指導者への夢を捨てきれず、91~96年にケルンスポーツ大でコーチ理論を学んだ。年収200万円、アルバイトで食いつなぐ。ドイツA級ライセンスを取得、帰国後の96年に日本のS級ライセンスを取得。 ◆プロ指導歴 ▽97年1月にJFL仙台(現J2仙台)のコーチに就任、同年10月から監督▽98年JFL水戸(現J2水戸)監督▽99年大宮でコーチ。00、01年には監督▽04~06年、大宮の監督に再任。 ◆システム 99年大宮コーチ就任時、ピム監督(現韓国代表監督)のオランダスタイルに共感。以後は中盤がフラットな4-4-2システムを好む。マンマークでないため「全員の運動量がほぼ均一。1人だけが疲れない」(三浦氏)というのが理由。 [2006年12月11日9時11分 日刊スポーツ紙面から] 本当に、三浦でもう決定なのか?
プロフィール
カズ 北海道旭川市生まれ、仙台の工業系大学を卒業し、北海道に戻り日立Gr.会社に就職、営業畑で●年間の外勤族、その後業務・企画の仕事に替わりつつ現在は総務所属もっぱら内勤族に転向しました、さらに社内報等にもたずさわる、管理人。今年は、何か資格にチャレンジを目標に頑張りたいですね。 スポーツ観戦で札幌ドームをこよなく愛す・・・
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