EPISODE.3 - 吉弘 充志

2009年05月26日

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試練。

「あれ?」
グラウンドに横たわった自分の身体を起こそうとしていた。
けれど、まったく力が入らない。理解不能の状況に陥っていた。


06年、当時サンフレッチェ広島に所属していた吉弘充志は
プロになって初めてレギュラーポジションを掴みかけていた。
チームは思うような成績が残せず、監督も交代した。
それでも、日々の練習を精力的にこなし、プロとしてのルーティンワークも
染み付きだしていた彼にとっては充実のシーズンだった。
前年にはワールドユース(現U-20ワールドカップ)オランダ大会の
日本代表メンバーに選手され、試合出場こそならなかったものの、
同年代の世界トップに触れたことで意識が飛躍的に高まっていた
時期でもあった。


しかし、7月。練習試合で相手選手と激しく接触しグラウンドに倒れた後、
彼のサッカー人生に大きな苦難が降りかかった。



「起き上がろうとしても、首から下がまったく動かなかったんです。
力も全然入らなくて。そしてそのまま病院へ運ばれたんですけど、
その途中、こういう言葉を使ってはいけないのかもしれませんが
『人生、終わったな・・・』と考えてしまいました」


診断結果は中心性頸髄損傷。
自動車やオートバイの事故で負傷をしたケースで起こる症状で、
身体が麻痺状態になるという重症だった。そして診察をした医師の
言葉はシンプルであり、同時に、当時21歳の若者には極めて重く
のしかかるものだった。


「担当医の方には『サッカーでこういう怪我から復帰をした前例はない。
引退も考えておいた方がいい』と率直に言われましたね。
クラブの方からは『時間はちゃんと用意してあげるから、
両親とも相談してじっくり考えろ』と言ってもらったので、
そこからは本当に悩みました」


治療のための手術には二通りの方法があった。
ひとつは、サッカーはもうプレーできないけれど日常生活は
問題なく送れるようにするもの。もうひとつは、再発の可能性があるが、
何とかサッカーを続けられるようにするもの。
吉弘は、そのどちらかを選ばなければならなかった。


そして選んだのは、後者だった。


「両親には『先がどうなるかわからないけど、サッカーを続けるよ』と
伝えました。そうしたら母親は『しっかり頑張んなさい』
と言ってくれましたね。ただ、母親は泣いていたので、本当のところは
どう思っていたのかわかりませんけれど・・・」


サッカーを続けていく。そうは言ったものの、現実は簡単ではない。


「術後もストレスだらけでしたね。ギプスで首を固定されていたので、
基本的には何もできない。手も痺れていましたから、喉が乾いても
ペットボトルのキャップが開けられないんですよ。あの時の握力は
一桁だったんじゃないかなあ。一応、プロのサッカー選手なのに(笑)」


正直、自らの選択が正しかったのかどうか自信はなかった。
最悪の場合、両親にものすごく大きな負担を与える結果にも
なりかねなかった。その不安に押し潰されそうだった。


「でも、色んな人が日替わりでお見舞いに来てくれて、
本当に支えになりました。リハビリを開始した当初は
不安ばかりだったのですが、色んな人が何気ない世間話をしに、
わざわざ病室まで足を運んでくれた。みんなが自然に接してくれたことで
不思議と『絶対に復帰できる』という自信が湧いてきたんです。
おかげでリハビリをすごくポジティブに取り組むことができましたし、
復帰も早まりました」


実際には復帰にかかった月日は通常のものだったかもしれない。
でも、吉弘にとっては色々な人と一緒に過ごしてきた病室生活が、
思った以上に短く感じることができたのだ。
07年12月の清水戦、多くのサポーターが見守るグラウンドに
吉弘は途中出場で駆け出していった。大きな歓声が心地よかった。
涙腺も緩んだ。


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札幌、挑戦の大地へ。

そして08年、様々な感情が詰まった広島の地を離れ、
吉弘は北の大地にチャレンジの場を移した。
コンサドーレ札幌への完全移籍である。


「それまでは地元やその近隣だったり、住み慣れた場所でしか
サッカーをしてこなかった。どこか自分の中に甘えが
生まれていたような気がしていたんです。新しい土地で
自分がどれだけやれるのかチャレンジしてみたかった」


移籍初年度の昨シーズンは途中から出場機会を減らし、
チームもJ2へと降格。本人も「不甲斐ない」と漏らす1年となってしまった。
しかし、この09年シーズンは開幕からDFの中心として活躍を続けている。


「大怪我をしたこともあって、少し前まではサッカーが出来る
というだけで幸せを感じてしまうようなところがあった。
でも、それだけではダメなんですよね。
怪我からの復帰というのはスタート地点に戻っただけ。
そこから結果を出して初めて評価をしてもらえる。
いいプレーをしても、結果を出さなければ何も意味がない。
今はそのことを強く意識してプレーしています。
ただ、怪我をする前に比べて周囲に対する感謝の気持ちが
強くなったと思います。人間的にも少しは成長できたかも
しれないですね。まだまだガキですけど(笑)」


そんな吉弘にはひとつの儀式がある。
それは、グラウンドに入る時には必ず一礼をすることだ。
「何気なくやっているだけ」と本人は言うが、
今日もサッカーがプレーできること、そして自分を支えてくれた
多くの人達に感謝の意を示すためだ。日々更新をしている
個人ホームページも目的は同じ。自分の毎日を発信することで
「お世話になった人達に元気な姿を知ってもらえる」からである。
ホームページを通じて、かつての恩師からメールが届いたこともあった。
今なお、周囲の声を力へと変えている。


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DFとして、何度でも。

吉弘の持ち味は読みの鋭いカバーリング。
危険なエリアを常に先読みし、誰よりも早く走り出す。
昨シーズンには相手のシュートが自陣のゴールを割るかと
思われた直後、ギリギリのところで吉弘が飛び込んでボールを
描き出した場面もあった。


一度は遮られかけたサッカー人生。でも、前例のない負傷から
吉弘は再び立ち上がった。どんなピンチに陥っても決して諦めない。
その魂が、誰よりも早く危険を察知し、可能な限り周囲を
ケアしようとするプレーにつながっているのだろう。


DFというのはハードなポジションである。
強靭な外国人ストライカーと激しく競り合ったり、
スライディングをしたり。グラウンドに倒れる場面は、
これからも幾度となくあるはず。それでもこの男は立ち上がる。
周囲の声を力にして、そして感謝の意を込めて。
何度でも何度でも、立ち上がってみせる。


【COVER 吉弘選手からのRE:】
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『リーダーシップ』

Name : 吉弘 充志 [Mitsuyuki YOSHIHIRO]
Age  : 24
From : YAMAGUCHI
Number : 2
Position : DF


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post by 2009 選手スペシャルインタビュー

11:00

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