EPISODE.2 - 岡本 賢明

2009年04月24日

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“トリック”に魅了された少年。

1990年6月25日。イタリア、ベローナ。
ワールドカップ イタリア大会、決勝トーナメント1回戦。
ユーゴスラビア-スペイン。
0-0のスコアで迎えた後半33分、左サイドからのクロスを
カタネッチがバックヘッドでファーサイドへと送ると、
待ち構えたユーゴスラビアの背番号10、ストイコビッチは
豪快に右足を振ってボレーシュート。かと思われた瞬間、
その右足はピタリと止まりボールはそのまま足下へ。
シュートをブロックしようとスライディングで飛び込んだ
スペインDFが通り過ぎるのを確認したトイコビッチは、
今度は丁寧に足を振ってボールをゴールへと流し込んだ。
まさに“トリック”。
誰もがボレーシュートだと確信していた。
スペインDFだけでなく、試合を中継していたTVカメラさえも欺かれ、
映像がブレたほどだ。
後世に語り継がれるスーパープレー。世紀のトリックが演じられた瞬間だ。


それから何年もの月日を経て、九州・熊本。
94年に名古屋グランパスエイトへ加入したストイコビッチの
プレーに魅了されていた少年は、その世紀のトリックの映像と出会い、驚愕した。
「ヤバイ・・・」
そして何度もその映像を巻き戻しては、トリックに嵌り続けていた。
少年の名は岡本賢明。現在、コンサドーレ札幌でプレーするMFである。



「スペイン戦のゴールはヤバかったですね。より一層、
ストイコビッチさんのファンになりました。あんなの、
誰が見てもボレーシュートだと思いますよね。あのシーンは
何回見ても飽きないですよ。その日から、少しでもストイコビッチさんに
近づきたいと思って毎日一生懸命に練習をしてきました」


トリックに魅了された少年は、今度は自らがトリックの演者になりたいと
トレーニングを重ねた。そして高校を卒業した07年、努力が実り
コンサドーレ札幌に入団。その高いテクニックと物怖じしない強心臓を
武器に1年目からリーグ戦デビュー。プロ初ゴールもその年に記録し、
多くの人間を驚かせた。表現の舞台や方法は若干異なるが、
トリックを演じる側になってみせた。


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DREAMS COME TRUE.

ここまでの流れを聞くと、口当たりの良いサクセスストーリーに
聴こえるかもしれない。
だが、時計の針を少し巻き戻せば、少年の苦闘の日々がよみがえる。


岡本少年が高校1年のことだ。
ナショナルトレセンの合宿で軽く腰を痛めた。
その時はあまり気にもとめなかったが、
自宅に帰ってみると歩けないほどの痛みに襲われた。


「親からは真剣にサッカーを辞めるように言われたこともありましたね。
1週間丸々休んで、やっと痛みが引いたと思って部活に出たら、
また痛みがひどくなったり。友達にもすごく心配をかけてしまいました。
自分でも不安になって『こんな腰だったら、もうサッカーは無理かもな』と
考えたこともありました」


でも、少年はサッカーから離れなかった。


「『何とかならないかな』といつも思っていました。
だって、サッカーは絶対に辞めたくなかったから。
正直、心の底では『ヤバイ』と焦っていましたけど・・・」


ストイコビッチのトリックと出会った時に発したものとは
正反対の意味の「ヤバイ」。
未来ある高校生には、あまりにも酷な状況だった。
プロになるとか、ストイコビッチに近づくだとか。
そんなこと以前の問題だった。
教室の椅子にマットを敷いたり、通学のためのバスに乗る際にも
腰にクッションを当てるなど、少年はできる限りのケアを施した。
それでも痛みは引かなかった。


そうした中で少年を支えたのは、
サッカーを辞めるように勧めたはずの両親だった。


母親は「あそこの病院がいい」という噂を聞けば
すぐに賢明を連れて出掛けて行った。
当時はまだ出始めで高価だった低反発マットも購入し、
賢明のベッドに敷いてくれた。
祖父や父親が古新聞をティッシュペーパー代わりに
するほどの倹約家系だったが、必要なものには惜しみなくお金を使った。
「週に2回くらいのペースで整体院に通っていたんですけど、
結構お金がかかっていたので、今考えると親は本当に
大変だったと思います。本当に応援してくれていたんだなぁ、
って思いますね」


そうした計り知れない想いが現実を超越したのか、
賢明が高校3年になった春、腰の痛みは何とか和らいだ。
「高校3年のプリンスリーグくらいから復帰できるようになったんです。
そこでプロのスカウトの人たちに見てもらえたんでしょうね。
何とか間に合った、という感じでした。でも、
何よりも、またサッカーを思い切ってプレーできたことが
とにかく嬉しかった20090424-04.jpg

「見ている人を驚かせるようなプレーがしたい」

昨年の夏過ぎのことだろうか。
プロ2年目を迎える岡本が連日、チームの全体練習が終わっても1人、
宮の沢グラウンドを走っていた。ちょうどプロの壁にぶつかり出場機会を
失っている時期だった。走っている理由を聞くと
「試合に出られないということは力が足りないから。
だから、出来ることからやっていこうと思って。
特に僕は体力が不足しているので、少しでも補わないと」
東欧が生んだ稀代のテクニシャンであるストイコビッチに憧れて
練習を積んだ少年は、Jリーグの舞台でそのトリッキーな
ドリブルを披露する。
イタリアワールドカップでのトリックに魅せられた少年が、
現在では自らがトリックを演じる側にいる。


トリック。
トリックにはいつもタネがある。
岡本少年が見せるトリックのタネ。
それは家族の愛情と、重ねてきた努力だ。
前者は少年の胸の内だが、後者は宮の沢グラウンドに行けば
いつでも知ることができる。
トリックのタネは、いつだってシンプルだ。


【TRICK 岡本選手からのRE:】
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『チャンスメイク!!ゴール!!』


Name : 岡本 賢明 [Yasuaki OKAMOTO]
Age  : 21
From : KUMAMOTO
Number : 17
Position : MF


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次のホームゲーム
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post by 2009 選手スペシャルインタビュー

16:00

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