EPISODE.6 - 宮澤 裕樹

2009年08月31日

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繰り返された負傷。苦しみのルーキーイヤー。

人間の体というのは逞しいもので、負傷した箇所というのは完治後、
たいていは負傷前よりも強くなっているのだという。
だがそれは、筋肉や骨といったフィジカル的な箇所のみならず、
メンタル的な箇所についても同じことが言えるのかもしれない。
折れた気持ちというのは修復後、以前よりも強くなっていたりする。




「代表チームの合宿に行ってケガをして、治ってもまた代表で
ケガをして。ルーキーだった去年はその繰り返しでしたね。
コンサドーレではケガの治療ばかりで、結果も残せていないのに
代表に呼んでもらっていた。
クラブで結果を出して代表に呼ばれるというのが自然な流れだと
自分では考えていますから、本当に心苦しかったですね。
そしてそこでケガをしてしまっていたわけですから、精神的には
厳しかった」


北海道の名門、室蘭大谷高校のエースストライカーとして爆発的な
活躍をしていたことで注目を集め、高校2年からは年代別の
日本代表チームにも常に名を連ねるようになる。
そして、そこでも不動のエースとして活躍をした。欧州遠征や、
アジアでのタフな国際試合なども経験し、08年のコンサドーレの加入は
多くのサッカー関係者やファンにとって“満を持して”とも言える
ものだった。
逆に言えば高卒ルーキーがいきなり多くの視線を集めるという、
大きな重圧の下に身を置いたということになる。


「最初のキャンプの直前に盲腸になってしまって、チームに
溶け込むのも時間がかかりましたね(笑)。
すぐに結果を出さなければいけないという焦りもありましたし」


もともと、新しい環境に身を投じるのは大の苦手だった。
初めて年代別代表チームに選出されたときも
「知らない選手とサッカーをするのは正直、抵抗があった」と
辞退を考えたほどである。
そんな選手がプロという新たな世界に飛び込み、いきなり結果を
求められる。そして、ケガを重ねてしまう。
本当に苦しいシーズンだった。
5月の名古屋グランパス戦で待望のプロ初ゴールを挙げ、
「気持ち的にはひとつのハードルを越えられた」と安堵したものの、
その後もケガに苦しむ日々が続いてしまった。


だが、負傷した箇所が癒えて以前よりも強固になっていくように、
苦しみの日々を乗り越えるたびにハートも強く鍛えられていったのだった。


「ケガをしたり、思うようにシーズンを過ごせないことで不安や
焦りは少なからずありました。
でも、レベルが高く、より厳しい環境でサッカーがしたくて
プロの世界に飛び込んだわけですから、そんなことは言ってられない。
少しずつ、そう思えるようになってきました。
この世界、ケガというのは付きものですし、ケガをしている間に
何ができるのか、そういったことも考えられるようになりましたね。
その意味では、早いうちに壁にぶつかれたことは良かったのかもしれない」


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サウジアラビアで立ち尽くしたあの日。
「今度は絶対に勝つ」

痛みや苦しみが、宮澤を強くした。だが、強くなったからといって
痛みと無縁になれるわけではない。新たな痛みは、すぐにやってくる。
08年11月、中東はサウジアラビアのアンマンで開催された
アジアユース選手権。
グループリーグを順調に首位で通過し、迎えた決勝トーナメント1回戦。
これに勝てば翌09年にエジプトで開催されるU-20ワールドカップの
出場権を得ることができ、逆に負けてしまえば敗退となる大一番に
U-19日本代表は挑むこととなった。
エースストライカーはもちろん宮澤。セレッソ大阪の香川真司とともに、
大黒柱としてチームを牽引していた。
世界大会まであと一歩、勝てば天国、負ければ地獄という
シチュエーション。舞台は整っていた。


だが、ここで立ちはだかったのがライバル・韓国だった。


「気の緩みはまったくありませんでした。でも、その前の対戦で
僕らが一度勝っていたというのがあって、
『絶対に負けない』という気持ちは韓国のほうが上回っていたのかも
しれない・・・」


0-3。圧倒的な完敗だった。
受け入れ難い結果ではあったが、それが現実だった。世界への道は、
閉ざされた。灼熱のサウジアラビアで、ただ立ち尽くすしかなかった。
だが、折れかけそうな気持ちを支えたのは、紛れもなく苦しみの
ルーキーイヤーで積み上げた経験だった。


「負けたまま終わるわけにはいかない。借りは絶対に
返さなければいけませんよね。
また韓国と戦って、今度は絶対に勝つ。そのためにもコンサドーレで
しっかりと成長し、結果を出すことにいま、すべての力を
注いでいる最中です」


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「新しい環境は苦手」と言い切っていた男はいま、些細なことにも
動じないタフさを身につけた。
何度倒れても這い上がる、前へと進む。どんな環境に置かれても、
とにかく攻めることだけを考えている。
今シーズンはボランチとしてもプレーしているが、
「サッカーとはゴールを奪う競技。どんなポジションであろうと、
第一に考えるのはゴールを奪うことだけ。DFをやれと言われても、
常に攻めることを考えながらプレーしますよ」と言ってのける。
どのエリアでプレーしようとも、頭の中に描くのはいつも「攻撃」。
それが宮澤という男の生き様だ。


どんな厳しい状況になろうとも、宮澤は這い上がる。
そして這い上がってきたときには、以前よりも強靭な宮澤へと
変貌を遂げている。
攻めの姿勢がより強固になっている。その繰り返しが、
この男のサッカースタイルだ。


「今度は絶対に勝つ」
この言葉を偽りのものにしないために、これからも宮澤は攻め続ける。
今はもう、サウジアラビアで立ち尽くした、あの日の宮澤ではない。
次に韓国と対戦したならば、きっとそのゴールネットをこの男は
揺らすはず。


その瞬間、世界への扉は開かれる。


【CLEVER  宮澤選手からのRE:】
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『自分らしく』

Name : 宮澤 裕樹 [Hiroki MIYAZAWA]
Age  : 20
From : HOKKAIDO
Number : 11
Position : FW


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次のホームゲーム
第44節 10月7日(水) セレッソ大阪
札幌厚別公園競技場 19:00キックオフチケット購入方法・お得なシートについて試合日程について
 



post by 2009 選手スペシャルインタビュー

15:00

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