EPISODE.5 - 西嶋 弘之

2009年07月28日

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「プロになったばかりの頃は
『トップ下じゃなきゃ絶対に嫌や』という意識を持っていた」

高らかに鳴ったタイムアップの笛は、チームの勝利とともに、
J1昇格を告げるものでもあった。チームメイトたちは誰彼構わず
抱き合い、涙を流しながら歓喜の雄たけびを上げた。
そうしたチームメイトの姿を見ることは素直に嬉しかった。
だが、心底喜ぶことはできないというのが正直なところ。
いや、むしろ心底にあったのは悔しさだけだったのかもしれない。
なぜならば、自分はそのシーズンをもって契約非更新に
なることがほぼ決まっていたからだ。
 



「チームメイトのみんなが笑顔で騒ぎ合っているときに、
自分は騒ぎきれない。それは本当に悔しかった。いつか自分も
昇格や優勝に貢献して心の底から喜びたい。そう強く思った瞬間でしたね」


この出来事は03年シーズン最終戦時のことだ。当時、J2の
サンフレッチェ広島に所属していた西嶋弘之は、プロになって3年目。
いまでこそセンターバック、サイドバック、守備的MFなど複数の
ポジションをこなすクレバーなプレイヤーとして、リーグ戦100試合以上に
出場。コンサドーレ札幌には欠かせないユーティリティープレイヤーとして
活躍を続けている。だが、プロ入り当初はバリバリの攻撃的MFだった。
奈良育英高校時に出場した高校選手権全国大会ではハットトリックを
記録しているほどだ。


「プロになったばかりの頃は『トップ下じゃなきゃ絶対に嫌や』
っていう意識を持っていたんですよ。新人の頃って、全体の
バランスなどを学ぶために色々なポジションをやらされるんですけど、
それがホンマに嫌でしたね。DFなんてやってられへん、って」


そんな彼が、いまでは守備的なポジションならばどこでもこなす
ポリバレントなプレイヤーへと変貌。機を見た攻撃参加からシュート、
スルーパスなどを放ったり、的確な位置取りでオフサイドを取ったりと
クレバーかつ献身的なプレーでコンサドーレを支えている。この変貌が
始まったきっかけはもちろん、03年に広島で聞いたタイムアップの笛だが、
そこからの過程の日々は苦しみに溢れていた。


「広島をクビになってからは、とにかく孤独でした。トライアウトが
あるので、みんなが体を休めているオフシーズンにも近所の公園を
走ったり、一人でボールを蹴ったりと。正直、『オレはどうなって
しまうんやろ・・・』と心のなかでは考えていましたね。でも同時に
『このまま終わったら完全に敗北や。何とかもう一度・・・』という
気持ちも絶やさないようにしていました」


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何者でもなくなった自分を支えてくれたのは、オトンとオカン

本当に孤独な日々だった。慣れないパソコンの前に座り、
トライアウトが行なわれる関東までの行き方を一生懸命に調べた。
新幹線のチケットも買いに走った。所属チームがなく、
自分が何者でもなくなった不安や焦りがなかったわけではない。
でも、身近な支えが大きな力となった。


「精神的には不安定でしたよ。でも、オトンやオカンが
『これも人生勉強や。出来るところまで頑張ってみろ』と
励ましてくれたので、腐らずにやることができました。
そうしたら運良くヴィッセル神戸が拾ってくれて」


そうして再びサッカー選手としての立場を掴み取ってみると、
ポジションへのこだわりは瞬く間に消え去っていた。


「サッカーで生きていくというのはホンマに大変なんやなあ、
とあの時期に痛いほど感じましたね。どのポジションがやりたいとか、
そんな甘いこと言うてられへん。自分がサッカー選手として
生きていくには与えられたポジションで頑張るしかない。
そうした現実に向き合うこともできましたし」


そうして04年に神戸からコンサドーレへと移籍を果たした頃には、
ユーティリティなDF西嶋弘之へと完全なる変貌を遂げていた。
与えられたポジションを貪欲にこなしていくうちに、いくつもの
ポジションをごく当たり前のようにこなせるようになっていたのだ。


「いくつものポジションができるということについては、
自分ではそれほど意識してやっているわけではないんです。
自分にできることを全力でやるだけ。それに、どのポジションも
完璧にこなしているというよりも『それなり』にこなしている
というレベルじゃないですかねえ(笑)」


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身につけたクレバーさは、
与えられたポジションに全力でチャレンジしてきた積み重ね

そんな彼は今年、コンサドーレの選手として6シーズン目を向かえた。
04年に札幌の地で初めて果たしたリーグ戦出場も、今では100試合を
超えている。結婚もこの街でした。
「ホンマ、人生はわらかんもんですねえ。奈良に生まれて、
広島、神戸へ。そしてまさか札幌の街でこんなに長く生活することに
なるとは正直、まったく想像もつかへんかった。もちろん、
この街で結婚をすることも。試合出場にしても、広島や神戸にいた頃は
ベンチ入りするだけでも一大事件やったことを考えると、
これだけ試合に使ってもらえるというのは幸せなことですよね」


クレバー、ユーティリティ、ポリバレント。彼を評するこれらの言葉は、
どれも相応しい。だが、あくまでも結果論であることも忘れてはならない。
プロの世界で生きていくために、与えられたポジションに常に全力で
チャレンジしてきた。あくまでも、その積み重ねだ。


そして彼は明かす。
「ボクを選手としてここまで成長させてくれたコンサドーレというチーム、
それから札幌の街に本当に感謝している。だからこそ、今の目標である
J1定着に向けて全力を注ぐことで恩返しがしたい。その時のポジション? 
そんなのはどこでもいいですよ。フォワードだって、『やれ』と言われたら
全力でやりますよ」


自らのサッカー人生を、「細いクモの糸を握り締めてきた」と振り返る。
でも、握ったまま引っ張り上げられた人生では決してない。
間違いなく自分の手で糸を握り、登ってきた。そしてこれからも、
そうやってハードな日々を乗り越えていく。


【CLEVER  西嶋選手からのRE:】
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『冷静で 熱いプレー』

Name : 西嶋 弘之 [Hiroyuki NISHIJIMA]
Age  : 27
From : NARA
Number : 6
Position : DF


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次のホームゲーム
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post by 2009 選手スペシャルインタビュー

15:30

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