2006年01月06日
骨髄バンクに登録して7年目。 半年ほど前、骨髄移植のドナー候補に選ばれました。 貴重な経験をしたので、当時の様子をつらつらと記録してみました。
ある日曜、アパートの郵便ポストに角4の淡いピンク色の封筒が入っていた。 骨髄バンクからだ。 7年前に骨髄バンクにドナー登録して以来、これまで機関紙しか来たことがない。 いつもの茶封筒とは、明らかに大きさも色も全く違う。 「もしや…」
予想は的中。 1枚目の書類は、「骨髄ドナーコーディネートのお知らせ」と題しており、 「あなた様と骨髄バンクの登録患者さんのHLA型(白血球の型)が一致し、 ドナー候補者のおひとりに選ばれました」との一文が。 おぉっ!とうとうドナー候補に選ばれたんだぁっ。 嬉しい。 肉親でもなければ、HLAの型は数百人から数万人に一人しか一致することはない。 全く見知らぬ人の命を救えるチャンスが、私に与えられたのだ。 そもそも、骨髄バンクにドナー登録したきっかけは献血だった。 献血マニアな私は、高校生の頃から札幌市地下街にある献血ルームに毎月のように通ってた。 一時、献血ルームが身近にない街に住んでいた時期にやや疎遠になっていたが、 就職してからは、札幌に出掛けるたびにせっせと献血していた。 余りの熱心さ(?)に、日本赤十字社から 「血液の在庫が少ないので献血に来て下さい」 と、時折、呼び出されたりする始末(苦笑) そんな訳で、新札幌の献血ルームに行った98年2月のこと。 壁に貼ってあった骨髄バンクのポスターを眺めていたら、 「ついでに登録しませんか?」と誘われた。 元々興味があったので、早速、登録。 献血のついでに極少量の血液を採取し、骨髄バンクに関するビデオを視聴した…ような気がする。 単純な私は、登録したらすぐに依頼が来るかもと期待していた。 しかし、そんな連絡は全くなく、たまに届くのは機関紙のみ。 そんな期間が7年も続いた。 自分自身も殆ど忘れかけてた頃、ようやく届いたドナー候補の知らせだった。
【目次】 第1回:骨髄移植ドナー候補体験記 第2回:ある友人の思い出 第3回:コーディネーターさん 第4回:家族の同意 第5回:確認検査 第6回:条件 第7回:本当に危険なのか? 第8回:心境の変化 第9回:以外と困難なこと 第10回:最終結果 第11回:献血と臓器移植意志表示カード 第12回:「メンバーが、足りない」 第13回:最後に 第14回:「半落ち」 第15回:ご報告 第16回:SAVE!AYAKA…しかし、あなたにも救える命がある 第17回:三度目のチャンスは…
※ もし興味を持って下さいましたら、日本骨髄バンク、骨髄バンクドナーの輪、ドナーズネットをご覧下さい。 05年夏には、元日本代表キャプテン井原正巳氏がCM出演しました。
rocket1号
Re:骨髄移植ドナー候補体験記
2006-01-06 22:35
はじめまして。 私もドナー登録して8年くらいで3回目の候補で 昨年骨髄を提供しました。 コンサドーレのホームゲームと重なってしまったのが 残念でした。
イリス
Re:骨髄移植ドナー候補体験記
2006-01-07 23:10
コメントありがとうございます。 rocket1号さんも、貴重な体験をされたのですね。 術後のお身体の調子は如何だったのでしょうか? このシリーズはしばらくの間、定期的に続けていきますので、 rocket1号さんの体験も教えていただけたら幸いです。