生きる限り続く戦い(ゴール裏話)

2008年03月14日

鹿島4-0札幌

この結果は「取られ過ぎだなぁ」とは思うけども、頷かざるを得ない。
前半は飛ばして何とか隙を見せなかったが、燃料には限りがある。
それが何時来るかが試合の鍵だと思ったら、
やはりチャンピオンチームというのは違う。
冷静に札幌のエンジンを冷やしにかかり、見事勝ちを収めた。


DFラインの急造、中盤との連携不足、前線の中山だよりな守備(ダビが悪い訳じゃない)
札幌に打つ手は正直無かったと思う。これが「歴然とした実力差」だろう。
これを埋めていける。まだ目指す先がある。しかも遠くに。
前に進める。進む余地がある。それは素晴らしい事だ。
今度は勝とう。前半を90分やればそれで負けない。それだけだ。


で、その為の声がガクーッと止まった。
エンジンは冷えれば止まる。温まればよく回る。
溜息は、沈黙は、冷やしだ。
何故、2点取られた程度で黙るのか?
俺にはそれが理解出来ない。
ゴール裏ってそんな場所なのか?
聞くまでも無い。答えはNOだ。
ゴール裏は「熱い」「札幌というエンジンが回り続ける為の」場所だ。


「鹿島スタジアムのアウエーゴール裏に来て、失点で黙った人」
はその辺をどう捉えているんだろうか。
2点取られて、正直凹んだ。偽らざる心情だ。だけど、声は下げない。
懸命に歌い叫ぶ。
だってサポーターが負けを認めたら、あの2万人の視線に晒された11人は
一体どうすればいいのか?惨めに過ぎないか?
彼らは前後半を戦い切るまでその抗いを止める訳には行かない。
応援を止めた人からも、理不尽な野次を受けたりもする。

では「応援する側」は、勝ってれば浮かれて、負けてれば沈む。
そんな「美味しい処取り」でいいのかい?と。

確かに「やられれば凹む」し、「やってやったら浮かれる」そりゃそうだ。
だけど、後者はいいとして、前者をも堪える。
子供が失敗したら、凹むのかい?溜息をついて失望を顕にするのかい?

親はそうだったか?
失望を顕に、圧迫するような対応を見せてばかりか?

トップの前のちびっこサッカーの時は、あんなに溜息殺してたじゃん!(まぁ出てたけど)

あの時溜息を我慢したのは「未来ある子供に溜息は無い」と思ったからじゃないか?
俺が煽って思ったのはそういう温かい、応援しよう、支えようという心だった。
では、何故トップにはいきなり失望出来る?共に戦う事を放棄する?
それが、あの日は残念でしょうがなかった。

1500人かそれぐらい来たらしいけど、声なんて最初しか出てなかった。
2006年天皇杯の仙台スタジアム程にも出てない。
あんなもんじゃないだろう?
J2で優勝して、その価値は貶められるものじゃないけど、
やっぱりJ1で見れば一枚下というのは予想してた事じゃないか?

そこで「ああやっぱり」と失望するのか?
それとも「畜生やってやるぜ」と熱くなるのか?

ゴール裏という場所で、その場所に込められた意味をどう捉えるかは
それはもう各人の自由かも知れない。
でも、出来るなら、札幌を何とかしたい。何か力になりたいと思うなら
仮に失点しても、溜息を殺し、前を見据えて、もう一度声を張り上げる。
そんな気持ちを起こしてはくれないか?



J1の初戦で味わう現実の辛さは、ゴール裏にも現れたと感じる。
J1に上がれば終わりじゃなく、そこに基盤を作り、定住地を作り
根を張り、子を産み、連綿と営みを続けなければ意味が無い。

同じように、ゴール裏も人が増えるだろうけど、その全てが
熱く札幌の為に自らを犠牲に出来る人間では決して無い。
寧ろ、そう出来ない人の方が多いだろう。
そこに絶望するだけではなく、J1に居続ける為にチームが戦うように
声を出し、働きかけ、熱さと情熱を失わないゴール裏を大きく出来るよう
努めていかなければ、きっといけないんだろう。

そんな訳でドーム開幕、一戦必バモの精神で頑張りましょう。

追伸
藤田征也の2008チャント原曲は皆さん覚えて行ってください。
(かなりポップです。鹿島の解説はいい意味で忘れて下さい。1:15あたりのサビです)
http://www.youtube.com/watch?v=ChasB-pna2k


post by アラブ

00:45

観戦記 コメント(2)

この記事に対するコメント一覧

ほんだ@くしろ

Re:生きる限り続く戦い(ゴール裏話)

2008-03-14 12:13

征也の原曲情報どうも。こういうメロだったんだ。次は行けるかも。  それでは明日もがんばろー

アバウトですね

Re:生きる限り続く戦い(ゴール裏話)

2008-03-14 12:48

USの一員のひとのブログでは、1:18~1:30とありましたが。

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