水戸天狗党の悲劇

2007年04月15日

  
「天狗党」とは,水戸藩の尊皇攘夷派の呼び名である。以前J2において さかんに唱えられた。

それは世界トップリーグ 伊太利亜国において 用いられる 強固な守備を基本とした戦術であり

水戸天狗党 が 我が J2国 にてその 納豆デフェンスを遺憾なく発揮していた。


しかし、1860年:桜田門外の変 等の事件後、1864年筑波山で兵を挙げ

朝廷にアクション・サッカーを訴えることを決め はるか京都を目指し出発したのであった。

天狗党の一行は,中山道を通ってまっすぐ 京都をめざそうとしたが その方面には

追討の諸藩の軍勢が集結しており,やむなく 越前・若狭を回っていくルートをとることになり

時は12月 雪の峠越え,自慢の納豆デフェンスを捨て アクション・サッカーを目指すが

情勢は厳しく、今年の 初勝利 もままならない 有様。


  果たして 水戸天狗党 の行く末は・・・                   繁次郎


 PS, コンサも この道は、いつか来た道~♪





post by shige26

08:20

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