コンササポは道産子だけじゃないぞ!あっしがコンササポになった理由・その3

2006年03月02日

はい~どーもー!

昨日は立川(否談志)でジンギスカン食ってきました偽先生でございます。
ココの姐さんの「ジンギスカン食べたい飲みたい!」の一言で集まった総勢約5名ココの方は会議が長引いて欠席)の呑ん兵衛熱狂的なコンササポの方々と一緒にてっぺん回る頃まで飲んでいましたww

さて、続きですね。



地元の西友でエンヤコラサとアルバイトをし、当時の課長の「そのまんまウチに就職しちまえ!本社の人事部には俺から口聞いといてやるから」というありがたいんだか迷惑なんだかよくわからない仕事の誘いの言葉を耳にしつつ、ついにその年の夏休み、もう1人のバイク好きなクラスメートと共に念願の北海道ツーリングに出発したのでした。
調度その直前に青函トンネルが開通、おりしもバイクブームの影響かJRが「モト・トレイン」という鉄のバイク乗りなら非常に喜びそうな列車を運行しておりまして、よりによってあっしも友人も鉄のバイク乗りだった為この列車を利用して北海道へと向かったのです。

(ちなみにこの「モト・トレイン」、判らない方が居られると思うので一応説明を。
人は寝台車、バイクは荷物車に載せて(但し、安全の為バイクのガソリンは抜かれバッテリーは端子を外さなくてはならなかった)上野から函館まで(上野~青森は急行八甲田、青森~函館は快速海峡に増結)行けるという物で、同様に大阪からも「モト・トレール」というのが運行されていたんです。
但しバイクは40台しか詰めなかったのでシーズンはなかなかチケットが取れませんでした)

当時のルートは上野駅よりモト・トレインで函館に昼過ぎに到着、その日は一気に洞爺湖まで行きユースで1泊、翌日からはえりも岬~大樹(泊)~阿寒摩周屈斜路湖近辺(泊)~富良野(泊)~小樽まで行きここで友人と別れ、残り数日は帰りのモト・トレインの出発まで行き当たりばったりで行くという今考えりゃ距離感もクソも無い若さゆえの無茶な工程ではありましたが・・・自分の意思(公共交通機関では無く、止まりたい所で止まり、走りたい所まで走るという事)で、北海道のちょっと冷たいカラっとした風を身体に感じて旅をするという事の楽しさを骨の髄まで身に染みつけてしまったのでした。
そしてなにより、道は広い自然は雄大景色は綺麗空気は旨い水も旨い食べ物も旨い酒も旨い人は優しいお姉ちゃんは可愛いススキノは安いという北海道の良い所を心行くまで堪能してしまったのです。

ガキの頃から北の大地に憧れ、金貯めてバイクでツーリングに来てコレだけの事を感じてしまったら、そりゃもうどう考えても北海道ファンになりますがな
ましてやあっしの場合親父もおかんも地元近辺の出身、2時間もありゃ両方の実家に行ってちょいと上がってお茶1杯飲んで帰ってこれる距離なので、当然親戚一同も殆ど多摩西部の在住なんですね。
早い話あっしには田舎が無いんです。
だからガキの頃、クラスの友人が夏休みや冬休みが終わって「新潟のおばあちゃんの家に行ってきた」とか「青森のおじいちゃんの所に行ってきた」とか、「鹿児島のおじさん家に行ってきた」という話をしている時に、あっしはそういう話が出来なくて非常に悔しかったんですよ。
そういうのも有ってか、北海道に対しては「心の故郷」的な感覚が芽生えたと言っても良いのでしょう。

おかげでその後は自他共に認める「北海道オタクw」になってしまいまして、就職してからは夏のバイクツーリングはもちろん、冬は車で、GWはバイク・クルマ・鉄道のいずれかを使って必ず北海道に行くというライフスタイルになってしまいました。(北海道への旅費全部計算したら、おそらく新車のセルシオ1台十分に買える金額だと思います)
ついには会社の中でもあっしの北海道マンセーぶりは有名になった様でw、上司の計らいにより何度となく札幌営業所への出張に行かせてもらいました。
札幌への転勤願いも当然出しましたよ。事実札幌営業所の営業や所長、得意先の担当者から「いつこっちに異動になるの?」などと言われ続けておりましたが、上司および本部長曰く「奴が向こうに行ったら遊んでばっかり(思いっきり読まれている)で仕事しないから駄目!」との事で、結局異動出来ませんでした。
もっと言っちゃうと、道内への移住も本気で考えましたよ。
当時札幌にあった北海道人材銀行に登録し、定期的に求人&企業情報を送ってもらったのはもちろん、UターンIターンフェアに参加したり、各道内地域の職安にあったUターンセンターに登録して企業の紹介をしてもらったり、「就職出来ないのなら自分で商売を始めよう!あっしにすぐ出来る商売は・・・ユースやペンション、サ店だ!」という非常に安直な理由で、国鉄清算事業団が放出した払い下げ用地の入札に参加したりもしちゃっていたんです。

それくらい北海道が好きになっていたので、北海道にJリーグチームを作るとなった時も当然の事ながら注目はしていたんですね。
あっしの叔父が東芝府中に勤めていた関係で、東芝という企業に対して多少なりとも親しみを感じていたという点があったのも事実ですが。

もーちょい続く。



post by 偽先生

21:24

コンサドーレ コメント(3)

この記事に対するコメント一覧

rocket2号

Re:コンササポは道産子だけじゃないぞ!あっしがコンササポになった理由・その3

2006-03-03 09:30

こんばんは、穂積ペペです。 「好きだからこそ定住しないで、通うんだ」と おっしゃる北海道好きな方もいますよ。 住んでいる人間にはわからない深い思いがあるんですね~。

ついんずぱぱ

Re:コンササポは道産子だけじゃないぞ!あっしがコンササポになった理由・その3

2006-03-04 00:24

こんばんは、城みちるです。 15時から会議をはじめて、終わったのが20時でした。体が持ちましぇん。帰りは、焼肉食って、ふて寝しました。次の日もニンニク臭かったらしい。

偽先生

Re:コンササポは道産子だけじゃないぞ!あっしがコンササポになった理由・その3

2006-03-04 08:24

おはようございます。 ラジオ体操第一始め~ ちゃんちゃんちゃんちゃんちゃんちゃんちゃんちゃん ちゃんちゃんかちゃんかちゃん~ つー事で、なぜか早起きしてしまいました土佐日記。 >rocket2号さん&ついんずぱぱさん江 穂積ぺぺに城みちるかい! なんて突っ込んでやろうかww

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