2005年12月10日
ご存知の通り三原選手は今期限りでHFCと契約しない事が報道を通じて明らかとなった。三原選手には色々な気持ちを私たちに与えてくれた大切な選手。残念ながら札幌での最後の練習を見に行けず、本人にお礼の言葉を贈れなかった。そもそも面と向かって話す機会があったとしても、恥ずかしくてほとんど口を訊けずに終わっただろう。
ここに活字を並べる事で、この感謝の気持ちが三原選手に伝わればうれしい。
こんな気持ちを抱いていたサポーターに共感してもらえればうれしい。
このBLOGを書くたび、写真を編集するたび、何度となく流れた涙。
全くの自己満足でしかないこのBLOGだが、少しでも自分の気持ちに整理がつけば…うれしい。
#自分勝手で申し訳ない
三原選手に貰った言葉達
三原選手に贈った言葉達
三原選手が感じた気持ち
三原選手に貰った気持ち
自分の気持ちを書き留めた恥ずかしい記録を解き放ち、新しい道を歩き始めよう。
いつの間にかこのチームを応援して10年近くになった。
周りからは熱狂的なサポーターと呼ばれているらしい。
ホームはもちろんアウェーにもよく足を運ぶ。
レプリカユニフォームもモデルチェンジするたびに買い換えた。
しかし、ひとつだけやった事の無い事がある。
ソレは自分で言うのも何だが、シャイな自分には少し気恥ずかしい事だった。
ソレをしないのは特定の選手を応援するのではなく、全選手を応援しているという意思表示でもあった。
ソレをしないのは毎年選手が入れ替わってしまうからかもしれない。。。
本当のところは良く自分でもわからない。
4月3日(土)平塚競技場
この日、大切な選手がひとり大怪我をした。
彼にとっては選手生命にかかわる大怪我だった。
彼は開幕前に、「もう一度大きな怪我をしたら引退する」と語った。
実際、彼は怪我した瞬間「サッカー辞めようと思った」と語った。
「もう移植する靭帯が自分の足にない。」
「7回か8回手術してる。J新記録らしい。」
「怪我した瞬間はサッカー辞めようかと思った。」
「それぐらい今季はかけてた。」
「柳下監督の下で皆ひとつになって、頭から使ってもらって、この年ですげーサッカーがもっと好きになってる自分がいた。」
「柳下監督の下で心からサッカーを楽しんでいた。」
「この人ならついていこうと思った。」
「だから頑張って絶対ピッチに戻る。」
サポーターも絶対に戻ってきて欲しいと願った。。。
自分もそう心から願った。。。
その気持ちは、自分を初めて「ソレをする事」に心を動かした。
そして、白いガムテープを買ってきた。
色んな願いを込めて。。。
ここで待ってる。
必ず帰ってきてくれ!
ピッチに帰って来た時には「7」を掲げ、そしてそのゲームが終わったら白いガムテープは剥がそう。
完全復活の印として…
笹姐
Re:ありがとう!三原選手(1)
2005-12-10 12:11
はじめまして。 エントリのタイトルによばれてふらふらとやってきました。 素敵なエントリですね… 色々なことを思い出します。続きを楽しみにしていますね。 三原さんのことは、私のところにもちょっと書いてます。 よろしければそちらもどうぞ。
一コンサファン
Re:ありがとう!三原選手(1)
2005-12-10 13:19
はじめまして! 私もタイトルに呼ばれてしまいました。 昨日の最後の練習を見に行ってきましたが、 今年最後の白恋は感慨深いものでした。 今年で去る選手も皆さんもいつもと変わらず、 もちろんそうです。 彼のサインや写真撮影を求められたときの 「よろこんで」は私の心に刻みました。 来年、彼が戻ってきた時には、10番を掲げて お帰りなさいと言いたいです。 私のところに彼の写真をUPしていますので よろしければ立ち寄ってください。 http://www.consadole.net/cons1510/
プロフィール
ゴール裏メイトな二人が出会ったのは、J1に昇格した翌年、岡田政権3年目で最後の指揮を執った2001年の年明け早々。この年に行われたサポータによる新年会。2年間の暗黒の時代を乗り越え、2人ならJ2も怖くないと降格した2003年1月に入籍。おかげで家計の歳出先の主がコンサドーレになり、恐ろしい事にジョアンカルロスと共にキャンプに同行(正確にはおっかけ)するまでに。ヤンツー勝負の3年目2006年1月にサポーターが1人増ました。BLOGタイトルはコンサドーレジャンキーはいつでもこんな状態だという意(本当はかーさんの口癖)。
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