コンサ教 辻褄合わせ

2007年11月29日

思い出す。
初めてゴール裏に行った時のことを。
サルトして、歌って、選手のそれぞれのコールをして。
歌もいろいろあって、覚えてなきゃ 思い切って歌えないし、
選手のコールも覚えなきゃちゃんと出来ないし、
攻める時の応援の仕方、守る時の応援の仕方、
フリーキックやコーナーキックやキーパーが蹴る時の応援の仕方、
なーんにも あやふやなまま、ゴール裏に飛び込んだ。

見よう見まねでやりながら思った。

宗教のようだ・・・ ちょびっとのけぞりそうになったこともあった。

熱烈ゾーンに入った暁には さらに思った。
泣き女にはなりたくないと。

でもある時思った。
これは自分の意思でしていることなんだよな。
決して強制されてここに来たわけじゃないよな。
だから、洗脳でもなんでもない。
歌も応援の仕方も それは共通のものだからするんだ。
それが熱烈という場所で今ある唯一の表現方法なのだ。
一人が増えれば 少しは違う。そんな一人が増えればもっと違う。
そう信じることが出来た。

それを宗教のようだと思う自分と戦いながら 結局は そこが大好きだ。

人が泣こうがわめこうが悲鳴をあげようがため息をつこうが、
許せなくても、そんな感情に支配されている時間があるなら 応援する。
これは、教えてもらったことでもあり、しっかり体得してきた気持ちでもある。

応援は、わたしは信じることの表れだと思っている。
だから、どんな方法でもいいと思っている。場所が違っても。

あの場所で 歌もうたわない、手拍子もしない、でもとりあえず立っている。
いわゆる地蔵と言われる若い男性を知っている。覚えてしまった・・・。
野次だけは凄い。怒ってる。物凄い怒る。
今、思い出した。そうだ、彼は コンサの選手をとても怒る。
近い場所に何度かいたので 避難したこともある。 感性が合わない。つらいぞと思って。

でもなんだか、今は おこがましいけど許せる気持ちになった。
いや、書いててそう思った。 彼もコンササポなんだと、なんか初めて気づいた。

書きながら展開がころころ変わる。

コンサ教 万歳だと そういうことを書きたかったので まあなんとか辻褄あわせは出来たかな。


post by aru

22:49

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