過ちを認めることの重要性

2006年01月14日

サポティスタで見つけたタイトルだ。
「吉田スペシャルレフリー(以下、SR)がW杯アジア最終予選の
 ウズベキスタン-バーレーン戦における誤審について」の記事。
この事についての感想は自分レベルでは出来ないので、
身近な出来事として、感じたことを書こうと思う。追記。



自分などは現在、同居人に謝れば済むような世界で生きている。
しかし、プロとして働く同居人Yについては
このような局面はたびたび避けることの出来ない事として起きる。
それが、先日、起きた。
Yは、嬉しいことに、「仕事を家に持ち込んでくれる」。
多少なりとも、似たような職種で巡り合ったものだから、
彼の話はよくわかるし、状況は容易に想像できるわけだ。

仕事のうえで、「プロではない!」と激しく拒絶されたそうだ。
この日は、珍しく職場からメールがきた。
「落ち込んだ・・・」
曲がりなりにも20年ほど就いている職業人として
このようなメールを家人に送ってくることはなかった。

お風呂に入れ、少しアルコールを注入し、口を滑らかにする。
「で、何があったのさ」
概要を語るY。彼は無口なほうだ。引き出す技術が必要だ。

そっか・・・。で、むかついた?
「いや、その通りだと思ったから謝った」
そっか。それでいいじゃない。
チャンスだよ。
そんなこと言ってくれるなんて、その人だってかなり苦しんだんだよ。
「確かにそうだ。認めざるを得ない」

時間はかかると思う。でも、なんとか修復してほしい。
過ちを認めることが、大変な事態になる事象は世の中にたくさんある。
しかし、人間対人間の世界では、「謝る」ことは最も大切なことだと思う。
自分は、甘いのだろうか。



post by aru

00:42

コメント(0)

この記事に対するコメント一覧

コメントする