まとまってないが演出【応援2】

2007年01月10日

基本的に自分が何を言いたいのかまとまっていなかった。

おそらく 
 一体感を共有してみませんか? なんだと思う。
 だれかれ構わずハイタッチしてもみくちゃになるようなお祭り騒ぎは
 楽しいですよ。
  いや、それが目的ではないな・・・
 選手と同じくらい疲れませんか?
  いや、到底及ばないのだけれど・・・
 全身全霊をこめて応援したあと、勝てば虚脱。負けても虚脱。
  だめだ、説得力ない。
 
わかりました。

私が初めてコンサの試合に行った時(2000年前、いや、そんなに生きてないし、
岡田監督の頃ということで) すなわちサッカーというスポーツを初めて
見た時に、感動したのはゴール裏のサポーターたちだった。
かっこよくてかっこよくて、サッカーよりそっちを見ていたかもしれない。
こんな人間、他にもいると思うのです。

そのためにも サポーターが出来ることって、試合の時に選手の力になるため
だけではなくて、ひとつの舞台というかショーの一部だと思ったりもするんです。
それは、一人で出来ることではなくて、一人でも多くの人が参加すると
より大きな演出効果が生まれます。

もちろんこれは、一定の角度から見た考え方です。

応援をする理由は、人それぞれであるし、ゴール裏ではなくても、どこであろうと
応援する気持ちや情熱は、比べる性質のものではない。

書きながら整理するという、それも晒しながらですがお許しを。

まずは、ショーの演出効果という面で今回は考えてみます。ここからかい。

コンサのサポはかっこいいと思います。
ゴール裏もかっこいいです。
ビッグフラッグが出たり、ゴール裏で何十本もの旗が振られている光景も
鳥肌がたつ。
そして、歌。 最近自分は、コンサの歌が好きになってきた。
ゴール裏にはまる前は、「少々地味だな」 「念仏の再来だな」 と思っていた。
しかし、ドーレくんにしか興味のなかった母がコンサの歌を聴きながら
「派手さはないんだけど、魂が揺さぶられてくるような雰囲気があるね」
と言った。

それだ!と思いました。今では、どの歌もコールも誇りを持って歌える。

話がそれました。

地鳴りのような声。最初は太鼓なしで、ひっぱる。どこまでかわからないけど
引っ張る。声だけがこだまする。スタジアムを揺るがしたくなる。
この時間帯は大好きだ。
そして 太鼓が入る・・・さあサルトだ! 鳥肌がたつ。

自己満足でも、大好きな瞬間だ。
その一部になれていることがたまらなく嬉しくなる。

だから誘いたい。
まとまってないじゃん(・・) 日記だな。


post by aru

12:56

応援 コメント(5)

この記事に対するコメント一覧

ゴール裏の一住人。

Re:まとまってないが演出【応援2】

2007-01-10 13:10

こんにちは。初めまして。 共感する部分があったのでコメントさせて下さい。 自分もゴール裏に魅せられて応援を始めた人間です。 コールに鳥肌が立つ。 泣きそうになる。 今でも変わらない気持ちです。 >その一部になれていることがたまらなく嬉しくなる。 仰るとおりです。 お邪魔しました。

だいごろう

Re:まとまってないが演出【応援2】

2007-01-10 13:34

毎度!だいごろうです 私もゴル裏の魅せられて、染まった人間です。 最初は近くで見ていて、 またちょっと寄って、歌を覚えて 私も息子も同じ気持ちで 「お父さん!真ん中に行こう!」の一言で、 すっかり抜け出せない世界へ・・・ 今回のエントリー、、、読んでるだけで、 ワクワク・ウズウズしてきますよ

aru

Re:まとまってないが演出【応援2】

2007-01-10 15:40

>ゴール裏の一住人。さん  ようこそ。有難うございます。  初めて訪れる人間にとって、ゴール裏は(ごめんなさい)サッカーと同じくらい  魅せられる場所ですよね。私も本当にそうだったのです。それは今も変わらないくらい。  涙が出そうになる。それも同じです。  そこにいる尊さ。同じ志を持った見知らぬ人たちと叫ぶこと。ピッチで足が吊るくらい走り  まわるコンサの戦士たちに、心動かされるのは必然ですね。    はたから見たら、宗教のように見えるのかもしれません。それが、心配というかどうでも  いいというか、開き直っているというか・・・  どう思われようと、弾けること。弾けられること。  昇華できること。素敵ですよね。  しかし、同じ目的で居ても、違う行動をしてしまうこともありますから。  それがネックなんです。またお寄り下さい。 >だいごろうさん  息子さん、まっとうなサッカー人生を送られているようで何よりです。  サッカーをする側と応援する側。 きっと違うものがあるのでしょうね。  それは わかりません。 しかし、だいごろうさんは、これから息子さんの成長とともに  それを見ることが出来る。羨ましいです。  ゴール裏はひとことじゃ言い表せない世界ですね。  アウェーもいいことばかりじゃありません。  人が寄ればそれだけ、それだけの想いがある。  そう想っていたところに、ワクワク・ウズウズという言葉に触れ、少し勇気が出ました。 有難うございました。

yasu

Re:まとまってないが演出【応援2】

2007-01-22 03:23

着席・・・ ゴール裏に魅せられ感動し ゴール裏にハマり ゴール裏に落胆し・・・ 今だ復帰の予感のない 元ゴール裏の住人です ゴール裏の応援(パフォーマンス)を試合の中の演出とした見方には とても近い考えを持っています プロの試合はお金を取って見せるショービジネスです それは単に勝ち負けの結果だけを見る側に突きつけるものではなく 選手1人1人パフォーマンス、チームとしてのパフォーマンス、色々なアトラクションやサービス そういった総合的なパフォーマンスをクラブとして見せるビジネスだと思います だから ボールパーソン紹介の演出やドールズのパフォーマンスもコンサドーレの特徴であるように ゴール裏の応援もそのチームの特徴を表現する一つ チームの顔であると思うのです だからこそ ゴール裏の応援や行動にはメッセージや主張が必要だし そういう意識で応援する必要があると思っています で・・・ゴール裏としての主張やメッセージ・・・ それがコンサドーレの特徴となりえているのかってことですが それなりのスタンスはあるものの 残念ながら統一性という分部では今だ?マークが付くっていうのが 今の自分の感覚です・・・ そうじゃない!って言われる方も多いだろうし 反感買いそうですが これは あくまでも熱烈の外から見た自分の感覚なので そう感じる以上はどうしようもない 中に入ればもしかしたら 自分の感覚が間違っていると気付くのかもしれないけど 今自分が考えているのは 外から見て一体感を感じることが大事なんじゃないかと なぜなら メッセージや主張というのは外側で感じるものだから 外から見て 一体感や主張やメッセージみたいなものが感じれるようになった時 自然と人が集まり 少しずつスタジアム全体に広がっていくんじゃないだろうか そう思うのですが・・・・甘いかな? 非常に抽象的で何言いたいんだか訳解りませんが(いつものことで ごめんなさい) こうは言いつつも コンサの応援、コンササポは熱心で熱い、そして細かな分部を見つめる暖かさがある これはコンサというクラブを表現する一つの顔だと思っています また機会があれば外からの意見を出して行きますから 我慢してお付き合い願います・・・

aru

Re:まとまってないが演出【応援2】

2007-01-25 19:34

>yasuさん  ご着席ありがとうございます。  演出という表現に 「なんでそんなことしなきゃならんの?」と中心部から聞こえて  きそうだな、とか思いつつも、見ないよな・・・と開き直り、同じように感じていらっしゃる  コメントに勇気付けられました。  メッセージや主張。なるほど。  そう言われてみると、私もわかっていませんでした。  ただ、勝たせるために選手の後押しをするために出来ることはただひとつ。  ゴール裏で熱くなろう。声を出そう。鼓舞しよう。  それくらいしか感じてなかったです・・・。  いえ、これだけでもかなり充分だとは思うのです。  しかし、たまに感じるのは、札幌のスタイルについてのことですね。  「攻めろ攻めろ攻めろ攻めろ攻めろ」のダンマクもそうですし、コールもありました。  昨年までは柳下監督のもと、応援を牛耳る側としては、スタンスを、目指しているものを  明確に共有したいという思いを持つのは当然でしょうし、そうじゃなきゃモチベーションも  持続しないのかもしれない。  そんなことを感じる時もありました。このへんは逆にyasuさんは理解できるでしょうね。  ところが・・・私はといえば、はっきり言ってスタイルやスタンスはどうでもいいんですよね。  どこか、サポが口出せる問題じゃないのではと思ってしまったり・・・。   これは私がサッカーをよく知らないからでしょう。  たった2人でも意見が微妙な問題で。  要するに彼らに何を望んでいるのか。はっきり言うとこうなるのですなあ。  直接言わずに(今のところですが)書いていますがどうなることやら。  正直、わからなくなってきましたよ。  どういう方向から考えれば自分が納得できるのかなと。  まあ、こんなんですが、3や4にすすめばまた反応して下さいませ。  結局ただの文句婆になってるみたいで、モチベーションが!  爺さんありがとうございました。

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