1999年第24節 鳥栖戦@鳥栖スタジアム

2005年11月14日

思い出シリーズ第2弾です。
厚別での初観戦で、私は生で観るサッカーの面白さとコンサドーレにすっかり魅入られました。
生で観たサッカーは、テレビで観るより何百倍も面白く感じました。
ゴール裏を中心とする観衆全体がかもしだす応援の雰囲気と一体感は他では知らなかったものでしたし、目の前で繰り広げられるプレーの迫力とスピードは想像を超えるものでした。
初めての経験ながらあんなふうに「おもしろい!」と感じたのは、アイスホッケーの試合を見たときとウエストエンドのミュージカル以来だったでしょうか。
 といいつつ、コンサとは違って、その後アイスホッケーの試合を観に行ったのはせいぜい1度くらいのものでしたし、ウエストエンドはそもそも行く機会がない(爆)
福岡に帰った私はさっそくその後の試合日程をチェックし、9月5日18:00キックオフの鳥栖スタジアムでの鳥栖戦を観に行こうと夫に言いました。
鳥栖は福岡からJRの特急で20分程度、快速で30分程度の距離です。
博多駅を出るどの特急も鳥栖駅に止まるようで、休日のお出かけ先としては手頃ですよね。
調べてみるまで鳥栖がどこにあるかもよく知らなかったんですけどね。
コータファンサイトでの書き込み情報によると、ちょうどその日は鳥栖スタジアムで花火イベントがあるようです。
なんでも、サガン鳥栖ではサポーターが試合告知や寄付など熱心にクラブを支えていて、試合ごとにスタジアム近辺に貼り出される試合告知ポスターは、名物サポのおばあさんの手作りなんだそうです。
相手チームごとに趣向を凝らした文案とデザインでポスターを手書きして、サポが手分けして貼るのだそうです。
シーズンに1度のスタジアムでの花火大会も、熱心なサポの中に花火問屋だったか花火製造業者だったかの人がいて、その人の自腹で花火が提供されるのだとか。
そういうことをファンサイト掲示板の情報交換などで知り、なおさら楽しみになりました。



鳥栖にコンサの試合を観に行くんだと職場で話したら、総勢6~7名で行くことになりました。
当日、博多駅のホームで待ち合わせをしたのですが、ちょうど列車に乗り込む時間帯にものすっっっっごい雨!
うちのボロ社宅の水圧の弱いシャワーなんてメじゃありません。
「バケツをひっくり返したような」という表現がありますが、まさにその状態です。
もともと福岡の雨は東京と比べて大粒というか激しいような気がしていたんですよね。
梅雨の季節でも、東京だと「しとしと」という雨が長く続くイメージでしたが、福岡での最初の年は「こんなざあざあ降りの雨が毎日降る梅雨なのか」と驚きましたもの。
その日の雨は、その中でも特大の土砂降りでした。列車の出発も少し遅れたんじゃなかったかと思います。
これでも試合はあるんだろうか・・と半信半疑の状態で列車に乗りましたが、鳥栖に着くころにはふつうの雨になっていました。
一緒に行ったメンバーはひとりの福岡サポを除き、サッカーは初めて見るという人たち。
地元(みたいなもの)の鳥栖を応援したい人がいたのかもしれないけど、半強制的にwアウェイゴール裏で観戦することのOKはとりつけてありました。
座席のない階段状のコンクリート打ちっ放しのアウェイゴール裏エリアのはじっこ、バックスタンド寄り、屋根があって雨があたらないあたりに座ることに決めます。
私たちの左手、ゴール裏中央部ににはけっこうな数のサポーターが集まって立って応援していました。
50人以上はいたでしょうか。
ホームの試合とはまた違う、アウェイでの少人数での応援も、懸命さが感じられて興味深いものでした。
試合は雨の中、淡々と進みます。
先ほどまでの激しい雨のせいか、ピッチの上にはところどころ水たまり状になっている部分もあり、選手は苦労しているようでした。
前半途中には雨が止んで、見ている方には楽になってきたのですが。
前半は0-0のまま折り返し、後半気がつくと、ピッチ上の水たまりはすっかりなくなっていました。
後で聞いた噂によると、石水社長はこの鳥栖スタジアムの水はけのよさに感心して、白恋サッカー場を作るときの参考にしたらしいですね。
試合は起伏の少ない展開だった記憶ですが、後半、私たちの目の前でせっきーが体ごとゴールに飛び込むようなヘディングゴールを決めてくれて、1-0で勝ちました。
試合結果はこちら
確かせっきーは、この試合の直前に結婚したかお子さんが生まれたかのおめでたがあったのではなかっ
たですかね。
「ゴールを決めて二重の喜びだねえ」と思った気がします。

楽しみにしていた花火大会は、雨のため中止になり、次のホームゲームに順延するというアナウンスが流れました。
花火が見れなくて残念だったねー、あんまり面白い試合じゃなかったけど、勝ったからいいよね、といいつつ、結局はいつもの飲み仲間との宴会になって、福岡の夜は更けていったのでした。

この日のことを思い返しているうちにぼんやりと思い出したのですが、この順延された花火を目当てに私は、鳥栖の次のホームゲームに夫と行った気がします。
まだそんなにサッカーにはまってないころですから、自分でも半信半疑なのですが。
でもスタジアムに車を停め放題の駐車場があることを知って車で行った記憶なので、やっぱり福岡に住んでいた1999年のことだと思います。
多分、相手は川崎フロンターレだったと思います。
記憶が間違いないか、鳥栖の公式サイトやJリーグの公式サイトで1999年試合日程を確認したいと思ったのですが、当時の日程はどちらにも載っておらず分かりませんでした。
どなたかご存じの方がいたら教えてください(笑)。



post by あきっく

23:50

コンサ思い出話 コメント(5)

この記事に対するコメント一覧

ろびちゃん

花火大会

2005-11-15 16:40

こんにちは。 あの試合は、せっきー弾幕3枚担いで、 各駅停車で行ったので、私も思い出に残っています。 試合中止も覚悟しましたよねぇ。 びしょぬれの弾幕は、ホテルで部屋に並べて、 乾かしました思いでも・・・。 で、順延の花火大会は、お書きのとおり、 川崎戦です。ちなみに9/15日です。 1999年のJガイドにでてました。(笑)

いそやん

なつかすぃ~

2005-11-15 23:32

確か、「落雷が激しくなったら試合中止の可能性もあるんだけど、雷の音とまぎらわしいから」とかって理由で、タイコ禁止になっちゃったんですよねー それで、ひぐまさんがメガホンをタイコ代わりにしてコールリーダーやってました。 初めてコータのお母さんとお話したのも鳥栖なのですが、どの鳥栖か覚えてません・・・orz 前半はボールが走らなくて玉遊びというより水遊びでしたが、後半はちゃんとサッカーやってました。あれには驚きました。

あきっく

そっかー

2005-11-16 00:40

ろびちゃんもいそやんも、あのとき鳥栖スタジアムにいたんですねー。 そうだよね。たぶん今思えばあの人もこの人も、って感じでみんなあの場にいたんでしょうね。 あの試合のコールリーダーはひぐまさんだったんですか。 私、ユースの試合以外では「現役」のひぐまさんは知らないかも(笑)。 順延された花火大会はやっぱり川崎戦でしたか。 調査ありがとうございます。>ろびちゃん そういえば、昇格争いのライバル(?)であるフロンターレの足を引っ張るべく、 鳥栖の応援のつもりで見に行ったんだってことも思い出しましたw

いそやん

みんないた

2005-11-18 23:33

あと、白ポンさんが、当時つき合ってた劇団員の彼女と来ていた。 帰りは各停に乗っていた。 そのあと博多駅前ローソンのあるホテルの地下の店で飲んだっけ?(違う時の鳥栖かなあ?)

あきっく

だんだん思い出してきたー

2005-11-18 23:41

このときの鳥栖戦ってさあ 大分@厚別(私の初観戦)、山形@山形、ガス@厚別と3連勝して この勢いで昇格争いまでもうすぐだーという時期だったんだったよね。 そうか。みんないたんだー。大事なヤマ場だもんねえ。 で、翌週がいそやんの書いてた『決戦は金曜日』。 まさに正念場だったのに・・・。あんな結果で・・・。 私がその翌週の鳥栖スタに行ったのも、等々力での負けを取り返すべく、 「川崎負けろ~~」と念じるためだった。 そうか。花火のためだけじゃなかったんだな、やっぱり。

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