2001年開幕戦の思い出

2014年02月15日

ayaちゃん企画の 「2014開幕カウントダウン☆raise expectations」 に参加して。
第2日、2/15日分のエントリーです。
(なんとか日付が変わる前に滑り込みアップ!!ぜえぜえ)


ayaちゃんから開幕を待ちわび、盛り上げるこの企画について聞いたとき。
「そっかー。開幕戦か-。」と開幕戦に思いを馳せ、そして昔懐かしい開幕戦のことを思い出しました。
なので、そんな昔の思い出話を綴ってみたいと思います。
自己紹介のエントリで語ったこともあるけれど、私のコンサ初観戦は1999年夏の大分戦@厚別でした。なので、初めて迎えたシーズンの開幕戦は、2000年の鳥栖戦でした。そう、あの!エメが大活躍で、ハットトリックも決めて、先制ゴールを挙げた播ちゃんは試合終了間際に腰椎を骨折してしまったけど、4-0で快勝したあの試合。
あれはあれで楽しかったけど、そしてそれがその後コンサにのめり込んでいくきっかけだったことは間違いないけれど、あのころ私は福岡に住んでいたので鳥栖はいわば近場の試合でした。
なので本当の意味で「開幕戦のために」「開幕戦だから」と開幕を待ちわびて遠征の準備をして、「いざ開幕だーーーっ!」とはやる気持ちで開幕戦の地に乗り込んでいったのは2001年が初めてでした。
岡田監督のもとでコンサが「J1」に初めて乗り込んでいった年のことです。


2001年の開幕戦の相手はセレッソ大阪でした。場所は長居スタジアム。
(今年から見れるようになったJリーグ公式サイトのデータサイトによれば、この試合の公式記録はこんな感じです。懐かしい。)
初めて訪れた長居スタジアムは、とっても大きなスタジアムで、がらーんとした感じのスタンドのゴール裏の一角にコンササポが固まって陣取りました。
向こう側のゴールはとっても遠くて、選手の細かなプレーはわからないほど。
開場まもなく中に入って、席に落ち着いて、周囲を眺めていたら、なんだか多くのコンササポが隣の競技場へサッカーを見に行っているそうです。アマチュアリーグのサッカーをやっているらしい。
「隣」っていうから、今思えば第2競技場だったのかなあ。JFLの試合でもあったのかしら。
当時の私はまだコンサ(←トップの)の試合と代表のオリンピック予選の試合しか見たことがなく、社会人リーグも学生リーグも育成年代の試合も無縁だったものですから、「へーえ、よっぽどサッカー好きなんだなあ(物好きだなあ)」と思い、そちらのサッカーは見に行かずに長居スタジアムのスタンドでコンサの試合が始まるのを待っていました。
しばらくしてみんながぞろぞろとスタンドに戻ってきて・・。
さあ、選手たちが出てくる時間が近づいてきました。ワクワク。

試合前の長居スタジアムでの一番強烈な印象は。
ピッチ脇を歩いていたシャウエッセンマンですね!
スーパーで売っている袋入りのシャウエッセン。
シャウエッセン


   ←これ


これに手足がついたシャウエッセン袋の人?が、マスコットよろしくスタンドにアピールしながらゆらゆら歩いていたのです。
思わず「何?あれーー??」と、私たちは勝手に「シャウエッセンマン」と名前をつけてゲラゲラ笑ってしまいました。
ひとしきり笑ってから、シャウエッセンのメーカー(つまり日本ハム)がセレッソのスポンサーなわけね~。そうか、そうか。と納得したわけで。

・・・。
と、ここまでははっきりと記憶があるのに、肝心の試合のことはほとんど覚えていないのです。
断片的に覚えていることは

  • 前年(2000年)にルーキーで活躍して、私もかなりお気に入りだった山瀬がベンチスタートだったこと。ガンバからレンタル移籍してきた大黒くんがスタメンで、やっぱりガンバから来た人だし、ポジションかぶるし、山瀬がスタメン確保できなくても仕方ないかなあ、残念だなあと思っていました。
  • ところが、試合中に大黒から山瀬に途中交代があったのよね。(そしてその後の試合では、山瀬が大黒にとって代わってスタメンを確保したのでした。)
  • エメルソンに代わってチームの命運を託すことになった「大分から来たあのウィル」のプレーは、とっても気になるところ。なかなか頼もしいんじゃない?試合のわりと早い時間帯に、相手の主力選手と交錯して、その選手が負傷交代してしまうことになったのは気の毒だったけど、運が悪かっただけで、ウィルが一方的に悪いってわけじゃないし!
  • (そのときは知らなかったのだけど、その試合で怪我をして交代した選手ってモリシだったのですよね。で、確か、その後しばらく復帰できなかったはず。セレッソにとっては痛かったことでしょう。ちと申し訳なかった。あ、そういえばこの年、セレッソは降格することになったんだ。)
  • ウィルがゴールしたことは覚えてる。遠いサイドでよく見えなかったけど。先制して大喜びしたんだ。
  • でも、播ちゃんのゴールは、ごめん。覚えてなかった。勝ったことは覚えていたんだけど、記録を見てみたら追いつかれた後の試合終了間際の劇的ゴールだったのね。どうして覚えてなかったんだろ。勝った嬉しさと同化してしまっていたのかな。

試合内容とかプレーの質とかそういうことは全然わからないけど、勝った!J1に上がって最初の試合で、元からJ1にいるチームに勝った!
それだけでもう、十分幸せでしたねえ。(*´д`*)

2000年にホームもアウェイも制覇する勢いで遠征しまくった私は、2001年開幕のころにはずいぶんとコンサ仲間のお友達が増えていました。
そんな仲間うちで、遠征のときにはお菓子などを持ち寄るのが流行っていたのです。自分にゆかりのあるお菓子や季節限定もののお菓子などを持参して、仲間内でわけあっておやつに楽しむし、スタンドで一緒になった見知らぬ同志にもお裾分けして会話が弾んだり。
なのでそのとき私は、「開幕戦だし・・」とちょっと気合いを入れて、セレッソ戦にちなんで東京から桜餅をたくさん持参していきました。
ちょうどひな祭りを少し過ぎたころでお菓子やさんにはたくさん桜餅が並ぶ季節ですし、「桜を喰っちゃえ!」という験担ぎもありますしね。
当時住んでいたのが東京だったので、桜餅といっても、道産子になじみ深い道明寺タイプ
道明寺
じゃなく、桜色の薄皮で餡を包むような
薄皮タイプ
こういうタイプのですけどね。


開幕のセレッソ戦で「桜を食べよう」「桜餅」を持参してみんなに配って、まんまと勝利に気をよくした私は、
「そうだ!次節の柏戦には『柏餅』を持って行こう!」と思い立ちました。
でも季節はまだ3月。店頭を覗いてみて歩いた限りでは、柏餅はまだウインドウに並んでいません。
それでも気持ちが盛り上がっている私は諦めきれず、職場の人たちに「今週中に柏餅を買えそうなお店はないかしら」と聞いてまわったり、通勤路の途中にある手作りっぽい和菓子屋さんに「柏餅が欲しいんですが、作ってもらえませんか?」と尋ねてみたりしました。
柏餅
「餅はどうにでもなるんだけど、柏の葉っぱがねえ。手に入るかなあ。」と言いつつ、仕入れ先に聞いてみると言って、柏餅の予約を引き受けてくださいました。職場の人に教えてもらった和菓子屋さんにも行って、そちらでも同様にお願いして。
かくして私は、ホーム開幕戦の高知へ旅立つ前日に2軒の和菓子屋さんを回って何箱もの柏餅を引き取り、それを抱えて勇躍高知に乗り込んだのでした。(柏餅が何より重い荷物でした。)

そう、高知。
その年のホームの試合の開幕戦は、北海道でではなく、高知県高知市での開催でした。高知市の春野陸上競技場です。
当時は札幌ドームができる前で、3月半ばの試合は北海道ではまだ無理。
なので私たちは、当時笹田啓子さんが 2002CLUB のコラムで書いてらしたように、コンサドーレが「ホームの試合」として運営する(道外での)『ホーム開幕戦』、室蘭で開催する『道内開幕戦』、そして5月に厚別が使えるようになってようやく迎える『厚別開幕戦』と、何度も開幕戦を迎えていたものでした。

高知での札幌ホーム試合の開催は、当時の橋本大二郎知事が熱心に誘致してくださったんでしたっけ。高知の人たちもコンサドーレの後援会を作ってくださったりして、高知でコンサドーレの試合をやることをとても楽しみに、熱心に歓迎し、協力してくださいました。だから高知に行く前からかなり親近感をもって訪れることになったのです。
そんな高知での開幕戦は、今となってはここでもやはり、試合の印象よりそれ以外の印象の方が強いです(笑)。
ホテルの近くで開催されていた「日曜朝市」をとても楽しく見て回ったこと。珍しい野菜や果物や土地の物がいっぱいで、美味しい柑橘類を満喫して、これが毎週開かれており地元の人の日常的な買い物の場になっていることに感心して、いかにも南国な街路樹や町並みにも物珍しくて。
みんなできゃーきゃーいいながら楽しんだなあ。(あのころは今より若かった・・。あたりまえだけどw)
試合後に大々的に開かれた「炎の宴」も楽しかった。

で、肝心の試合の記憶というと

  • スタジアムへ向かうバスの中で、持参した柏餅を配ったの。2軒のお店に頼むことになったので、知り合いだけで食べるには多すぎて、手当たり次第に引き取ってもらうしかなかったから。今思うといきなりバスの中で箱が回ってきて「柏餅食べてね」というのだから、ちょっと引きますよね。いわゆる「おだっていた」(←北海道弁)ということ以外の何ものでもありませんね(笑)。
  • でもね!だからというわけじゃないでしょうが、勝ったの! その試合の記録がこちら
  • 雨が降ったりやんだりの重いピッチで、ウィルがぐいぐいと力強くゴールへ向かっていって・・・。そして、ゴール!!(*´д`*)
  • 雨にぬかるんだピッチで足元とられて倒れそうになりながらも、播ちゃんを手下のように使って、そして堂々たるゴール(*´д`*)
  • なんと、前半のうちに2点リードになりました。なんと!昇格したばかりのコンサが!開幕戦に引き続き!
  • 試合の内容や展開は覚えてません。きっと、見ていたけど、見ててもわからなかったんだと思うの。あのころの私は、戦術がどうのという話を聞いてもさっぱりわからなかったし、「岡田さんのサッカーはつまらない」「『エメにお任せ』『ウィルにお任せ』サッカーだから」等と言ってるのを聞いても「へえ、そうなのか」としか思わなかったものだから。「岡田さんのサッカー」以外を知らなかったし。
  • 2点をリードしたまま試合終盤を迎えて、コンサゴール裏ではタオルマフラーを掲げての GO WEST が始まりました。勝利を確信したときに歌う歌。もうすぐ迎える嬉しい瞬間を思って心が弾んでワクワクする歌。
  • でも、GO WEST を歌いながら私たちの目に映っていた光景は・・・。あちら側で守るコンサのゴールへ向かって選手たちがどどどとと攻め込んでいき、あ、あ、と思っていると、どうやら洋平がゴールを破られたようです。柏サポが喜んでいます。でも私たちは GO WEST を歌っている最中だから、手も口も使えないし、そのまま歌い続けて、まだリードしてるんだし大丈夫、早く試合終われ・・と念じつつ歌い続けて。
  • そして試合終了の笛が鳴りました。ああよかった。勝った。
  • 勝ったからその後しばらくは気にならなかったけど、後日、終盤の失点で勝ちきれなかったり負けたりの試合が増えて「ロスタイム失点病」などという言葉が使われるようになったとき。「振り返って遡ればあのときから・・」と言われる記念すべき試合だったのかもしれない結末でした。


変なことまで思い出してしまったけど、今思えば「ロスタイム失点病」だなんて、病気でもなんでもなくて単なる地力不足ですよね。試合終盤まで質の高いプレーを続ける頭と身体の体力が保たなかったということでしょ。と、身も蓋もないけれど。


あれから13年。
私は良くも悪くもサッカー観戦に慣れて、遠征に行くからといって特注の柏餅を持参するほど「おだつ」こともなくなり、ある意味サッカー観戦が日常のものになりました。
クラブは地元の選手を育て、チームの根っこからコンサドーレを作ろうという取り組みがかなり進んでいます。
チームは選手も監督も流転変遷するから簡単には比べられないけれど、あのころよりきっときちんとした素敵な「サッカー」をしているじゃないかなあと思います。
少しずつ前へ歩んでいくコンサドーレ。
今年はどんなシーズンになるでしょうか。
その第一歩となる開幕戦が、もういよいよ2週間後に迫っています。

楽しみだああああ~~~(*゚∀゚)=3



post by あきっく

22:20

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