藤色の街から赤黒の街へ

2014年12月23日

今回初めてコンサドーレ札幌 Advent Calendar 2014に参加させていただきました。
「なぜ静岡の人がコンサドーレを応援しているの?」というところから
気がつけば意外と深くなっていたコンサと藤枝の関わりや
藤枝市民とサッカーとの関わりについて書いていきたいと思います。

書き出したら結構長くなりましたけど、ご覧ください。


こんにちは。北海道居住歴なしで静岡在住サポのorionです。
なかなかホームには行けませんが、比較的近いアウェイの試合を
中心にコンサユニ着て応援に行っています。
アウェイの試合に行くとスーツケース持参で比較的厚着の
ホームから来られた方と軽装の本州在住サポが混在しています。
そんな中であいさつ代わりになる定番の質問が
「どこから来たんですか?」です。
静岡出身で北海道とは縁もゆかりもないことを説明すると
「地元のチームだってあるのにどうして?」と毎回聞かれます。
その理由がこちらです↓
藤枝東タオマフ


子どもの頃からこのチームの熱烈なファンだっただけに
そこからまとめて2人も入団すると決まったら
当然追いかけないわけにはいかないし、気になります。
その後、岡田佑樹くんとゴンさんも入団することになり
ますます遠く離れた藤枝とコンサの関わりは深くなっていきました。
今調べておけば良かったなぁと思ったのが
コンサ歴代選手のユース年代での所属チーム。
筆頭はコンサユースだと思いますが、藤枝東の4人は
あながち少ない方ではないのかもと思っています。

そしてコンサと藤枝東との関わりを作った存在として
重要なのが佐賀一平くん(現藤枝東ヘッドコーチ)です。
藤枝東は県立高校であり、わざわざ遠くまで出向いて
スカウトするというようなことはしていません。
しかも彼が受験をした時代は長らく全国の舞台から
遠ざかっていました。
彼の5学年上にあたる山田暢久選手の時代に
全日本ユースでは優勝したけれど
選手権には出られず、私も悔しい思いをしました。
だから彼が単身静岡に来て、しかも進学先に藤枝を
選んだのは今でも私にとって謎だったりします。
ただ「プレースタイルが合っている」という発言は
何かの取材で読んだような気がします。
快速2トップと攻撃的な両サイド。
なんとなくヤンツーコンサに似ていませんか?
ちなみに10年前に現役を退いた一平くんですが
私にとって身近な選手でたとえると
磐田の小林祐希に似たタイプかなと思います。
その後、同級生の河村優くん、少し離れて岡田くんが
コンサに入団することになります。

ところで、この方も藤枝出身なんです。
名波監督


私がそれを知ったのは仏W杯予選の時のこと。
逆に考えるとそれまでずっと知らなかったのです。
実は彼は藤枝東出身ではなくて、清水商出身だったから。
藤枝在住のお父さんが新聞に載っているのを見て
何も知らなかった私は本当にびっくりしました。
当時藤枝では「なぜ地元の学校に進学しないのか」と
「なぜよりによって清水の学校に行くのか」と
彼の進路をめぐって批判的な意見もあったと言います。
引退後に藤枝で行われたあるイベントで
「この街が僕を受け入れてくれるか心配だった」
と語っていたのが印象的でした。

最後に藤枝東高サッカー部と市民の関わりについて書こうと思います。
残念ながら私は両親が藤枝出身ではないため、身近にいないのですが
「うちのおじいちゃんはサッカーで国体に出た」なんて話はたまに聞きます。
大正時代の創立当初からサッカーを校技にしていましたから歴史は長いです。
当時土だったあのグラウンドで天覧試合が行われたこともあるんですよ。
そして藤枝東の選手たちは地元の子どもたちのヒーローです。
全国大会にも出場したあるGKの選手が言っていました。
「僕はGKとしては上背がある方ではないけれど
 僕が頑張ることで、子どもたちに希望を与えたい」
所属期間はたった3年間だけれど地域で一番愛されているチームです。
練習試合であっても2階席(生徒の駐輪場w)がファンで埋まりますから。
同じ街でサッカー選手が生活しているという感覚でしょうか。
ちなみにうちの父、高校サッカー中継を見て何を言い出すかと思ったら
「コイツ毎朝見かけるぞ!!」と言ってました。
確かにその選手の地元は父の会社のある方向でした。
今Jリーガーになっている某選手も普通に自転車に
乗っているところを見たことあるそうです(まあ、当たり前ですが)。
河村優くんも街で見知らぬおじさんに「全国大会頑張れよ」と
声を掛けられたことがあると取材で言っていたなぁ…。

そんなわけで、サッカー選手が身近に存在するこの不思議な街から
今年も来年もコンサを応援し続けていこうと思っています。