エーそれ似てるか~!?シリーズその3

2005年12月26日

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ルマン・松井大輔(日本)と…




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C大阪・久藤清一(日本)




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22:54

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読書管見・木村元彦『オシムの言葉』

2005年12月26日

20051226-00.jpg木村元彦『オシムの言葉』(集英社 ISBN:4797671084)

 サブタイトル「フィールドの向こうに人生が見える」。この言葉が、この本の、オシムという人の全てを言い表しているように思えます。


 いうまでもなく、イビツァ(本名イヴァン)・オシムは、90年ワールドカップでユーゴスラビアを率い、チームをベスト8に導いた後、EURO92を控えた時期に始まった内戦を受け代表監督を辞任、海外のクラブを渡り歩いた後に、市原(現在千葉)の監督として来日。限られた戦力を最大限に活かすその指導法で、千葉をJリーグカップ優勝に導いた名将です。陳腐な表現ですが「名将」以外に思いつかない。「知将」はちょっと違う気がします。

 この本は、「千葉でのチーム作り」と、「指導者としての祖国での経験・内戦により被った苦難」の二つのテーマに基づき書かれています。千葉というチームの戦術について語る資格はないし、実際に見ればいいだろう(再来年対戦する時に)、ということで、「なぜ千葉の選手はオシムを信じてあれだけ走ることができるのか」を知るために読んでみました。



 「オシム語録」などという名称を与えられ、その独特な語り口が注目を集めるオシムですが、この本を読むと、単に奇をてらってのことではなく、全ての言葉に何らかの意味を、メッセージを込めて発していることに気付かされます。時にはマスコミを通じて選手にメッセージを送るためであったり、また時には浮き足立つ周囲に警告を発するためであったり、あるいはメディアの「幼稚さ」に対する叱責であったり、と。
 こうしたメッセージを、それぞれの場面に適した形で発することができるようにするには、やはりその人の歩んできた人生がものをいうのだと思います。内面から出た言葉だからこそ、そこに込められた心も相手に伝わるのだ、と。
 「叱る」と「怒る」の違いはそこに相手を思う気持ちがこもっているか否かだ、と常日頃思って行動しているのですが、オシムの言葉は「叱る」のお手本のようだと思いました。そして内面から出た言葉であるからこそ、真似のできないものだ、とも。まずは自分自身の内面を磨いて、それからですね。

 その人間性をどこで身につけたのか。傍観者はやはり内戦に伴うつらい経験にルーツを求めたくなるのですが、オシムはそれについて次のような言葉で語っています。

「確かにそういう所から影響を受けたかも知れないが……。ただ、言葉にする時は影響は受けていないと言ったほうがいいだろう」
 オシムは静かな口調で否定する。
「そういうものから学べたとするのなら、それが必要なものになってしまう。そういう戦争が……」(p.129)

このくだりを読んで、彼の人間性をほんの少し垣間見ることができたように思います。

 以下、レビューとは関係のない余談。2006年ワールドカップの抽選。セルビア・モンテネグロ(SCG)は「スペシャルポット」なるものに入れられ、アルゼンチンのグループに入った。これは「同じグループにヨーロッパは二か国までしか入らない」という原則を逆手に取った「いじめ」以外の何者でもない。SCGは他のヨーロッパ諸国より高い確率(2/3)でブラジル・アルゼンチンと同じ組になるようにしむけられただけ。いまもってヨーロッパの「鬼子」扱いである。政治とサッカーは別物、などと綺麗事を言うつもりはない。これが現実。


 以下、またしても余談。発売日・読了日から随分日が経ち、すっかり乗り遅れた感のある本レビューにはやはりおまけが必要だろうということで、コレ↓

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 左がオシムのサインです。我がサッカー仲間であるところの「ジーコと握手したことのある、「コロンビアの英雄」の名をハンドルネームとする、千葉在住、でも増田と柳沢にダメ出しばかりする鹿サポ」な方に、わざわざ練習場まで行って入手していただいたものです。コレ↓がアップ。

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 で、問題です。右のサインは誰のものでしょうか?(コレ↓)

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 上記「うんたらかんたら」の方と身長体重が全く同じ(ヒントにならんなこりゃ)、「オシムの申し子」のものだそうです(私も分かりませんでした)。



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00:27

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