オオドサ・かもめの珍道中 寸又峡温泉の宿

2008年01月03日

12月30日、オオドサとは東海道線六合駅(島田市)で待ち合わせました。
なんでこんな場所かというと、下の写真の碑を見たかったんです。
1960年に狭軌鉄道スピード世界一を記録した場所なんです。(その後、南アに抜かれましたが)

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昨日書いたように、この日は蓬莱橋と川越遺跡を見て、大井川鐵道に乗りました。 大井川鐵道に関しては明日にでも詳しく書きますが、日本における保存鉄道の パイオニアでして、1975年に国鉄からSLが消えた翌76年には早くもSLの復活運転を開始してます。 私は子どもの頃、旧栗沢町(現岩見沢市)に住んでいたので、75年はSLで高校に通ってました。 最後のSLに乗っていた人間が最初に復活したSLに乗るのは感慨深いものがあります。 SL運転は1日1往復なので、30日は時間が合わず、31日に乗る予定にしていて、この日は 普通の電車に乗りましたが、「普通」といっても、ほとんど保存鉄道並の骨董列車でした。 10年くらい前まで大阪・和歌山方面で活躍した南海電車の車両で、当時を偲ばせる エアロプラザ高島屋などのステッカーも随所にありました。 こういう保存鉄道に乗るために来る人も多く、翌日、宿を出てからのバスは、 何か雰囲気が変(ほとんどの乗客が30代か40代の男性)だと思ったら、 乗客のほとんどが大井川鐵道に乗るために来た鉄道マニアだったんです(笑 (自分らが最も雰囲気をおかしくしてるだろって) JR東海道線金谷駅から大井川鐵道で40Kmほど南アルプス方向へ北上した地点の千頭(せんず) からさらにバスで40分ほど急峻な山道を進んだ、もの凄い山中に、この日の宿の寸又峡温泉があります。 なんでこんな秘境と言っても良い場所に比較的大きな温泉街があるのか不思議ですが、 とても泉質が良い(美人の湯)のも理由の一つでしょう。(「すまたきょうおんせん」と読みます) あと、寸又峡温泉の知名度を高めた事件の影響もあるのかも知れません。 1968年に起こった金嬉老事件です。5日間、ライフル持って籠城した旅館の隣の宿に泊まりました。 事件のあった旅館は今でも(増築はしたものの)当時の建物で営業しています。 私は当時小学2年生でしたが、世間が大騒ぎしていた記憶があります。 写真は凄いご馳走だけど(鰻を一口かじったあとの写真ですが)これ以外に鹿刺しなどもありました。
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紅葉の時期は混雑するようですが、この日は貸し切りで、食事は2食とも部屋出ししてくれました。 さすがに31日と元日は全14室満館になっていました。 でも、一番驚いたのは雪が降って、道路がシャーベット状になっていたことです。 まさか静岡が銀世界だなんて、全く考えてませんでした。 旭川空港でスノトレから夏靴に履き替えたのだけど、そのままでもよかった? (笑 結構山中に入った寸又峡ならわかりますが、千頭でも降っていました。 さすがに、「こんなことは滅多にないのですが」ということで、年に3~4回だそうですが、 それに当たるのは運が良いのか悪いのか・・



post by かもめ

08:01

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